6.『礼賛』の位置づけ
考えてみれば、今まで我々が見てきたネット上の佳苗は、あくまでシャバでの姿である。
ブログでセックスレスを訴えたり、Wさんと張り合ったり、ベンツを買ったり、山賊の宴を張ってみたり、ふらふらの男性を首都高に置き去りにするなど、実際に佳苗がそれを行っていたとき、我々は知らなかった。
09年10月の事件報道開始から12年1月の裁判開始までの2年半の間に後追いで発掘し、分析しただけだ。
残された材料があまりにも多く、分析期間がたっぷりあったので、ほぼあらゆる角度から意見が出て、すっかり佳苗を知ったような気になっていた。
長い拘留期間を経て満を持して裁判所に佳苗が登場したとき、我々と佳苗の時間は初めて一致した。
マスコミは連日やんやと騒ぎ立て、佳苗も肌でそれを感じたようだ。
演技の好きな資質が刺激され「木嶋佳苗劇場」の主人公としていかんなくふるまった。
午前と午後で着替えたり、傍聴席をゆっくりと見回して知り合いの記者を探したり、人目を意識して休廷中に弁護人と「ほんとー? うそー!」と楽しげに話した(北原みのり『毒婦。』)ことさえあったという。
とはいえ、見かけほど暢気ではなかったはずだ。
シャバでのように佳苗のその場凌ぎの嘘は見過ごしてはもらえないし、咎める人間にこっそり復讐することもできない。
都合のいい言い訳や開き直りは追求され、衆人環視のなかで辱められる。
さすがの佳苗も心が折れる場面が多々あった。と思う。
例えば、大出さんの兄から「(私たちは)生まれも育ちも千代田区神田です。練炭で何かをする、という発想はないです。それは、北の国の人の発想ではないか」といわれ、思いきり首を傾げ口角を下げ「はあ?」とバカにした笑みを浮かべて虚勢を張ったこと、学費を名目に金を騙し取ったことを執拗に糾されて嘘だと自覚させられたことなどが思い浮かぶ。
もっともダメージがあったのは第31回公判で安藤さんが亡くなったときの行動を追求されたときだ。
安藤さんが不自然なまでに眠りこけているのを放置してマスクをしたまま銀行ATMに行き金を引き出そうとして暗証番号を何度も間違えたり、それは安藤さんに頼まれたことだ、自分は安藤さんより速く行動できると言ったそばから検察に前日スタスタ歩く安藤さんの防犯カメラの映像を見せられ黙り込んだり、スーパーでの買い物をしらばくれようとしたら検察に「マッチ箱を探していたんじゃありませんか?」「お店の人に尋ねて、マッチ箱は100均にありますよと言われませんでしたか」といわれぐうの音も出なかったり、出所不明な金額がそのままそのとき下ろしたものと同額だった証拠を突きつけられたりとかなり苛烈な追求を受けた。
そして、休憩に入った後に20分遅れて午後の審理に現れた佳苗は、顔半分を覆うマスク姿、充血して腫れ気味の目をしていたという。
弁護人は裁判長に佳苗の40度の発熱を訴え、休廷となった。
傍聴していた人の印象はこうだ。
10 :可愛い奥様:2012/03/04(日) 15:58:57.80 ID:niuua1PA0
弁護士さんの発案ではなく、本人がたぶん取り乱したと思う…
なんか印象では泣いた感じがした。
午後は弁護士さん1人だけでしばらく待っていたが、
何人かが戻ってきて大丈夫とか言っていた。
熱はマスクして分からないけれど、
目は腫れて泣きはらした感じではあった。
裁判ではいつも弁護士さんたちは仕事として異議ありを言っているが、
弁護士さんたちも顔は引きつり、引いてる感じはする。
力士は今まで涼しい顔していたのに、ここに来て現状を理解したのでは?
ブレないカナエがブレた瞬間かも…
事前に弁護人から聞いていた以上のことを検察に掴まれていて動揺したのだろうか。
佳苗が初めて死刑を自覚した瞬間かもしれない。
しかしその後二回の公判はマイペースを取り戻し、最終意見陳述では泣いているような演技で締めるまでに回復した。
そして、例の一万二千字手記が発表されたのだった。
手記を読んだとき、住人たちもわたしも、佳苗がブログ時代からまったく変っていないことを思い知った。
しかしながら「一審判決と二審判決の間①」にも書いた通り、自らの歪んだ人格を見つめ、告白するという態度が少しだけだが、あった。
これはもちろんシャバにいた頃には見られなかった姿勢だ。
相変わらずいらない自慢やフカシを散りばめてはいるが(その点があまりにブログのままで、あらためてあれは佳苗のブログだったのだと感慨深かったが)、誰にも心を開いていなかったと正直に書いているところは一定の評価はできた。
しかし、その後に出た『礼賛』を読んだときに確信したのは、木嶋佳苗は我々の想像以上にモンスターだったということだった。
そこには2年半の分析も、100日にわたる裁判もぶっ飛ばすようなパワーアップした妄想と、虚飾と、自慢が23字詰め×19行×2段組×444頁、ざっと計算して13万5026字ものボリュームで厳然と存在したのだ。
自らの潔白を証明する内容ならまだ理解できる。
死刑判決をひっくり返したいという思いで必死になって反論するのであれば。
しかしそうではなく、教養と食生活の豊かな両親に育まれた生い立ち、早かった初潮、モテモテだった十代、二十代のエピソード、執拗なエロ描写などがこれでもかと盛り込まれているだけなのである。
あえて事件への釈明ともとれる記述を探すとするならば、母からの虐待ぐらいだろうか(とはいえそれも正直に書いたというだけで、釈明の意図があったわけではないらしい)。
また、小説中にたくさんの男性たちが出てくるが、事件に関係があるのは住人が「リサ爺」と呼んでいた松戸のリサイクル業経営者福山定男さん(不起訴、事件化せず)のみという徹底ぶりだ。
スポーツ紙のエロ記事並みのセックス描写は延々続けるのに、いざ話が08年に及ぶと「婚活の話は、また別の物語ーー」とあっけなく終了。
一体この本は何のために出したんだとぶん投げたくなる。
佳苗は改心どころか、完全にシャバ時代より退化しているのだ。
退化がわかりにくければ開き直りといってもいい。
演技性の人格が書いているうちにどんどんエスカレートし、現在に到る道筋や、悲惨な現状を都合のいい聞こえのいいストーリーで糊塗する欲求に存分に身を任せた結果があの本なのだ。
佳苗は拘置所日記に「出版社の人が面会に来て、まだ1冊目の本さえ刊行していないのに続編の話をされ、気が遠くなりました。これ以上書けないよ」(「ぼっち」2014年02月18日・木嶋佳苗の拘置所日記)と冗談めかして書いているが、二冊目、三冊目を書く気満々だろう。
最高裁がいつ開かれるかわからないが、死刑が確定したところで事件の被害者についてまたもや都合のいいメロドラマを書いて出すに違いない。
なんなら、もう書き始めている可能性すらある。
この人の自己顕示欲は本一冊、ブログ一つに収まるはずもないからだ。
次回は『礼賛』の細かい内容に触れたいが、少し時間をいただきたい。
(本をめくったりなんだりしながら書くととても時間がとられるのだ)
来月頭には更新できればと思っている。
【注意!】
ここで『礼賛』を買おうかどうか迷っている方に声を大にしていいたいことがある。
『礼賛』は最終ページに「本書の著者印税は、著者の意向により社会福祉に貢献している団体へ寄付いたします」とある。
佳苗も拘置所日記に「なお、印税の収益は、社会福祉に貢献している団体へ寄付いたします」(「自伝小説「礼讃」が遂に刊行されるらしいです」2015年02月22日)としているが、具体的な団体名が明記されていない。
さらに5月27日には「(「女性自身」記者の)この八木氏、私の著書の印税だけちゃっかり受け取っています。私は約束していた社会福祉団体へ寄付できず困っています。こんなやり逃げ許されるの?」などと書いている。
事実かどうかわからないが、印税がどこに行くやらもわからない死刑囚の本にお布施をしたくないと思い、わたしはアマゾンのマーケットプレイスで購入した。
一応、本を出版してお金を得ているわたしが古本を薦めるのもおかしいが、しかし本に限らず物を買うというのはその人に投票するようなものである。
木嶋佳苗に投票することは、私はNon。
それらを踏まえてみなさんがどうされるかは、お任せいたします。