20031224

会社員生活も残すところあと1ヶ月程度なので敢えてカテゴリー分けしていない、柔らかアタマが会社の不思議をぶつくさする「会社員」ですが、気が付いたことを少し。わたしが勤めている会社の特にわたしの部署は直接仕事を出す側ということもあって取引先からの手土産や御歳暮、お中元の類がとても多いのですが、加えて社員のみなさまも、祝日+休日とか有給をここぞとばかりにくっつけるとかして連休になるとすぐさま国内や海外にお出かけされるので、連休明けにはお土産の波状攻撃がやってくるわけです。で、この思わぬもらい物群、もらう側でどうこう言うのもナンですが、実に計画ぶち壊しのシロモノでして、たとえば会社帰りに買い物でもしようと考えていても帰るころには1個1キロ近いモンスターのような大きさの梨を持たされていたりして、やっぱりまっすぐ帰ろうということになったりするのですね。仕事納めも近いので、ここでわたしが半年ほど勤めて記憶にあるいただきものを列記してみようと思います。ハワイ土産のケースに入ったお箸1膳、韓国土産のビビンバ用鉄製スプーン、かぼす数個、箱入り大福、賞味期限切れのインスタントラーメン数種(これは会社で扱っている商品を配っていた。他には洗濯槽用クリーナー、歯磨き粉、マスクなどももらった)、りんご数個、巨大な愛宕梨と普通の梨のセット、カメラマンの愛妻手作りケーキ数種、市販のケーキ、うどの入ったどら焼きなど。
モモちゃんから「かわいい日記とは、何を書くかではなく何を書かないかではないか」という提言をいただきました。日記の作者として考えるとまったくそのとおりで、特にわたしは日記に限らず実生活でもなんでも言っちゃうところがかわいくない所以であると痛感し、数日前から「何でもかんでも言わない・書かないキャンペーン」をひそかに張っているわけですが、しかし人の日記となると、日常雑記だろうが批評だろうが思索だろうが、書き手自身が透けて見えるようなものであるという条件をクリアーしていさえすれば、あとはそのキャラを好きか嫌いか(好きはかわいい)で自動的に「かわいい日記」は決まってくるように思います、わたしの場合。だから、女子・男子、オモロ・真面目に関わらず「かわいい日記」はあるのでありますな。それにしても、作者の場合と読者の場合のウェブ日記に求めるものの違いはどうしたものかと思います。そして、作者としてのわたしの「かわいい日記」はどこへ行こうとしているのか。そのあたりを書きながら探っていこうと思っていますが、その意図がすでに全然かわいくなーーい。

20031223

大事な仕事の電話に限って相づちの「はい」と「ええ」が混ざって「へえ」になる。
最近、目がくっきり二重になっています。実は、生まれてから30年間自分は二重の人だと信じて疑わなかったのですが、3年ほど前に「achacoのは奥二重でしょ」と言われた瞬間、その称号を半ば一方的に剥奪されました。でも言われてみると確かに幅2ミリの二重が、目のカーブの1/3くらいのところから目頭にいくに従って一重になっています。とはいえ一応は二重なわけだし(部分的に)なにしろそのつもりで30年来てしまったので今さら意識を変えられるわけもなく(変えたくなく)その問題はわたしのなかで宙に浮いたまま放置され、ときどき鏡で見て「奥二重か……」と思う以外は忘れていました。ところが数日前、右目が妙に大きめに開いてる感覚に気がつき、鏡で確認したところ目頭もちゃんと線がついていて、つまりホンモノの二重になっているではありませんか!しかも次の日には左目までなっていたのです!感動でした。そしてその感動は今も続いています。ただ、それでもまだ若干の不満がありまして、以前はなかった細いシワができていることと、いつまた現れたときと同様に突然消えるか分らないということなのですよ。というわけで、なんとかきれいな二重を定着させるべく、今まで縁がないとタカをくくっていた「アイプチ」を購入し、フタマタを操って強制的且つ半永久的に二重にしてやろうと画策中です。そうなれば以下の理想を体現できるというわけです、えっへん。

<achacoの瞼年表>

               奥二重 二重!   
     二重だと思ってた   ↓  ↓  めくるめく二重の世界

 |……………………………………|……|…………………………………|
 ▲              ▲  ▲             ▲         
0歳             30歳 33歳             死

はー今日もかわいい日記が書けた。

20031222

● この日記は別に隠してるわけじゃないんだけど積極的に宣伝しているわけでもなくて見つけたらよろしくというスタンスなんだけど、わたしのスキだらけ行動により、リア友(ネッ友の対義語)2人に見つかった。もうこれからは無邪気なことは書けないわっ(嘘)。でも「あれ(中年の話)ってあの人のことでしょー」かなんか言われて、それがまた当たってたりして「えへへ…あはは…まあねえー…そうなのよー」などと腰が引けてしまった瞬間に「違うよ、もっと正しい反応があるはず」と思い直し、気が付いたらまた一席ぶってた。
● 各界で話題沸騰の「かわいい日記」ですが(?)もちろん今日も張り切ってつけるのココロ。昨日は、なんでも集めがちなわたくしのもうひとつの側面「捨て魔」が降臨(あ、かわいい日記は「降臨」とか書かない)。手始めに靴を8足ほど捨ててみました。が、自分の今のワードローブに何の影響も与えないということにショックを受け、わたしには手は2本足も2本体と頭は1つしかないという事実を強く感じたので、今後もガンガン捨てる(売る、譲るも含む。以下、「捨てる」は処分の意)つもりです。ちなみに、たまたま今号のハーパース・バザールで想像する大富豪の生活を見事に体現しておられる「KIMORA LEE」さん(本文を読んだところ、母が日本で生まれた韓国人で父がアフリカ系アメリカ人だそうですが、どう読んでも「KIMORA」は苗字ではなく名前らしく、娘の一人には「AOKI LEE」と名づけている(もう一人の娘には韓国風の名前)ところを見ると、「KIMORA」は「KIMURA」という日本趣味な名前のつもりらしいです。愕然)の「風とともに去りぬ」ばりのらせん階段のある玄関ホール(娘が三輪車で散歩していた)や、15シート備えた映画室や20個あるバスルーム(ジャグジー、サウナ、なんでもあり)を有する家の、クローゼットに無造作につっこまれたおびただしい数のヴィトンのバッグやマノロのピンヒール、映画『クルーレス』さながらに着るものすべてをコンピュータに登録して組み合わせを考えるという記事を読んでもうらやましくなかったので、今回の「捨て魔」はかなり強力な奴とみました。今後の捨て目標:バッグ=10個、服=20着、雑貨=50個、CD=50枚(但し数ヶ月前に150枚を売った)。

20031220

「ああいうのじゃなくて、今日食べたものとかかわいい日記を書けば?」と言われてしまった。そういうのやったことあったっけっていうかできるのだろうかと思ったけど自分を鍛える意味で「かわいい日記」カテゴリーをここに発足させます(無尽蔵に増えていくカテゴリー……)。そしてちょっと他人のかわいい日記を参考にしてきます。

…帰ってきました。結局あれだ、かわいい日記の鉄則は「したこと/みたこと/きいたこと」つまり「散歩・料理・買い物・写真を撮る・デート(スパイスに恋人とのケンカ)/映画・動物/音楽・女友達との情報交換(使い勝手のいいメイク道具など)」だ。「上司にキレる/2ch/駅で見かけた奇怪な人々の話題」とかじゃないわけだ。はー。なんとかやってみよう
昨日はあたたかくて冬晴れのいいお天気でした(天気の話題)。今年は暖冬で、全然冬感・年末感がないですね。お散歩日和だけどわたしは会社、せいぜい行き帰りとお昼に出るくらいしか季節を堪能できません(いかん、愚痴っぽくなってきた)。でも、もうすぐ冬休み!(お、いい方向転換)今年は居内商店で着物を買ったので休み中に1回は着たいと思っています(買い物の話題)。昔の着物に目覚めてから帯や帯締めなど小物を買っていたのですが、着物は背が高めで丈が合わないため新しいものをと思って、買わずに虎視眈々と狙っておりました。今回購入の着物は男物のスーツのウール生地で作られているので、やっぱり半襟はYシャツ生地かしらとか帯締めはレースにするとミスマッチでかわいいかも、とか夢が広がっております。それから、最近またキキララ熱が再燃しております。ただ、サンリオの商品は同じキャラでもテーマカラーやタッチが節操ないほど変化していくので、ショップに行っても好きなものがあるとは限らず、仕方ないのでヤフオクで探しております。先日買ったのはtommyとコラボ(!)したTシャツ。普通に着そうな自分が恐い。このところ街で見かけた落とし物を撮っているのですが、昨日は朝の新宿駅の改札を出たところで手袋が落ちているのを発見(写真の話題)。時間的にもギリだし雑踏の真ん中だったのですが撮影しました。自分のカメラマン魂、万歳。今後は、「もう1軒行きましょうよお、たまにはいいじゃないですか、ねえ」と言う相棒に引っ張られて柱につかまって身体をくの字に曲げているおっさんをフィルムに焼き付けていきたい(デジタルだけど)。ギャグみたいなそんな風景が新宿駅では夜ごと繰り広げられています。見たい映画(映画の話題)。

20031219

● ウェブの小説について。ウェブで小説を読むことは、単に内容がわかればいいということではなくて、紙の匂いと本の重さといった可触的な喜びだとかページをめくって読み進むといった自発的な楽しみがかなりの部分を占めている読書体験というものを再認識する存在でしかないと思っていた。と同時にそれは単純に長年の刷り込みで慣れ親しんだものが好きという幼稚な感覚なのかもしれないとも思っていたわけだけど、たとえば90年代初頭には本気で「ウェブの台頭で雑誌の存在があやうくなる!」と騒いだむきもあって、まあたとえばエロ関連とかジャンルによっては実際にダメージがあったのかもしれないけれどともあれ雑誌は増える一方なわけで、わたしなどはやはり雑誌で見るほうがわかりやすいのでなんだか不便だ(ウェブは検索に向いていると思われがちだが、それは目的が明確な場合でそれでも知りたいことの周囲を漂うようなあやふや感が残り、所詮ネットは個人の集まりでしかないことを痛感して終わることが多い。たとえば職探しなどは雑誌のウェブ版で探すわけだが、自分の希望する仕事がどのカテゴリーに属しているのか判然とせず、何度もトップページに戻る羽目に陥る。雑誌は全体を把握しやすいと思うのだが、どうだろう)。そういったことを前提とすると、小説などというナイーブなものを(つまり読んだときの精神状態やら周囲の環境がとても重要な意味を持つ媒体)発光したマットなウェブの画面上で改行や書体もままならないまま読み進めるのは非常に困難なのだが、なぜ今さらこんなことを言い出したかというと、こういうのなら面白そう。

20031217

●最近、80年代のゆるいフランスのポップスが来ている(自分に)。とりあえずLa Boum 1と2の主題歌と「Bonjour OMEMESAN」とソフィー・マルソー幻のアルバムは聴いているけど、他にもあったら誰か教えてください。アラン・シャンフォーの『ボンジュール・お目、目さん』とか聴きたいなー(カネボウのCMソングでした。若者は知らないだろうなあ)。
●最近、中年男性のセックスへの関心がものすごく気になり始めている。週刊誌に掲載されている水着やヌード写真なんかのことではなくて、映画やお芝居や音楽のちょっとした部分に過剰にセックスを感じ且つそれを話題にして延々話したり、他人のセックスライフを知ろうとしたりすることで(つまり話題がずっとセックス)、それが個人的なことなのか年齢的なことなのか(若いつもりでも体がついていかないことに対するいらだち?こんなことも普通に言えちゃう俺は大人だ?)わからないのだけど、とにかくどうしたもんかと思う。そして一体人はいくつまでセックスするものなのか、ということまで考えさせられるからすごくヤ。

20031216

●何にでもフィギュアのオマケをつける昨今ですが、欲しくもないオマケはマジ殺意覚える。例えば「午後の紅茶」の海洋堂全盛時代にむしろ懐かしささえ覚える塗りの豪快にはみ出た似せる気ゼロのピンクレディーとかコカ・コーラのファインディングニモのストラップとか。ニモ以外の魚なんか知らない。ボトルのネックからはずして他のボトルに付けようかとも思うのだけど周囲にあるのは全部同じ種類のドリンクだし他の棚まで越境して付けてる姿はさすがに人に見られたくないし、で結局持って帰るのだけど、やっぱり捨てるしかなくてでも昭和生まれの貧乏性が頭をもたげてその気になるまで1か月くらい熟成させるからその間部屋が汚くなる。欲しくもないフィギュアムカつく。けど、オマケでちょっと嬉しかったのは足で蹴るボール。昔一部で流行ったときは「シパシパ」と呼んでいたっけ。こういう遊びのツールをオマケにするのってやっぱり「昔のコカ・コーラのヨーヨーみたいに爆発的なブームになるかも、しめしめ」とか思ってたりするのかな、まさかね。
●会社に30代後半の80's(エイティーズ)がいてわりと格好いいのだけど「〜してちょんまげ」とか「頭がウニ(混乱してるの意?「頭がピーマン」と同義か)」とか「ナルハヤで」とか普通に言う。あと「紺ブレ」に「タンタン月へ行くのロケットのピンズ」をして「ギンガムチェックのシャツ」に「ステンカラーコート」を着ている。あとブランドにめちゃめちゃ敏感で人の持ち物のブランド名を大声で連呼する。あと人の顔をすぐ有名人に例える。住まいは国分寺の「デザイナーズマンション」らしい。こんな行状なので、多分室内は間接照明ですごく降りにくい鉄のらせん階段が付いててラッセンの絵がかかっててわたせせいぞう『ハートカクテル』と吉田戦車の『伝染るんです』が揃ってて月9のドラマとか録画してて「ねるとん」DVD持っててホワイトデーはきっちり3倍返しでカラオケに行ったら「会員番号の歌」を歌うと思う。つうか、早見優のデビュー曲「いそいで!初恋」歌って同僚に「キッツいわ、その歌詞」言われたのは当のわたしなんですけども。33で「君の香り深呼吸」もないもんだ。

●同じ人に「自立と自我が強いは別物だから。(あなたのは)単に自我が強いだけ」と言われた。言いえて妙で感心した。その人は明日休みです。

20031211

まるまる2ヶ月以上、ネット上から姿を消しておりましたachacoです。
特に精魂傾けて仕事をしていた!というのでもなく、命を縮めて遊びまくっていた!というのでもなく、かといって淡々と過ごしていたわけでもなく、健康診断を15年ぶりくらいに受けたり、楽しいイベントのお誘いを受けて伺ったり、仕事したり、楽しいイベントにお声をかけていただいたり(メールを読んだのが当日で結局参加できずじまいで残念!次回は絶対)、唄を歌うユニットを結成して第一回お座敷ライブを敢行したり(!)していました。
てなわけで、1月いっぱいで会社員生活に別れを告げるつもりです、ヤッホー!
これで臨機応変、ユーモアたっぷり、笑顔のたえないメチャメチャ感じのいい本来のわたしに戻れるわ!と思ったけど、びっくりするほどユートピアな貧乏ぶりなので、すぐに何か考えないといけません。
お仕事のお誘い、お待ちしております、もうなんでもいいから(もちろん遊びも)。
つうか、私信なんか書いてないで軽妙で洒脱な話題のひとつも振ってみろって話ですよ、実際。
ってよくこういうこと書きますね、わたし。
というのは、更新する前にネットっぽい文章や物の見方へのモチベーションを上げるためにやたら面白ページを見ちゃう癖があって、見も知らねえ一個人の文章を読んでもらうためにはこのくらいはしないといかんのじゃないの?という気に勝手にさせられるからやも。
まあいいや、今回はリハビリ感をこめてだらだら近況を書くことにします。
あのねえ、うんとねえ、achacoちゃんねえ、先日お歌を歌ったの(以下、ストレスと風邪と仕事の山で出力が0.5kbくらいになったときのわたしのしゃべり方)
それはねえ、あのねえ、前にも書いた気がするけどねえ、小・中学校時代の友達が偶然近くに引っ越してきてねえ、その子とは以前もバンドを組もうとかゆってねえ、おもちゃの太鼓とかカズーとか買い揃えたのはいいけどスキルがなさすぎてバンド話はマボロシになったことがあったんだけどねえ(変な縦笛ででたらめメロディーを吹いたものに詞をつけたデモテープ(という名の嫌がらせ)をつくってみたけど、その子に発表する段になったら想像を絶する動揺が襲ってきて間違えてその子のお茶をがぶ飲みしたりして、そんで目がさめて封印したこともあったことだなあ(詠嘆))、その子と再開したら高橋裕さんというミュージシャンの唄を歌ったりしててねえ、「やっぱり歌っていいよね」(@大友良英)って感じで(バンド構想はやぶれたけど歌ならできるかもと思って)歌うことになったの。曲はほとんど高橋さんのオリジナルで(新潟の高田瞽女の門付唄「かわいがらんせ」とかデューク・エリントンの曲に歌詞をつけた歌以外)高橋さんのギターに歌だけだとナンなので、木琴と口笛とチーンって鳴る楽器とか謎の太鼓(アルジェリア製)なども気まぐれに鳴らしてみたりしたの。人前で歌うのは初めてだった(カラオケは除く)んだけど、そんなに緊張しなかったのは意外で、これに気を良くしてわれわれ二人の誕生日である4月8日にはライブハウスでやるかもしれんという騒ぎにまで発展しつつあるの。

あとなんだろう、近況。
何しろ金井美恵子の新しい本が出てたなんてことすら知らないくらいな脱世間ぶりだったからなあ。
えー今後は時間ができてくると思われますので、追い追い更新していくこととします。