20150713




【附録】事件関連本

最後に、「首都圏連続不審死事件」に関する本のレビューを出版順に載せておく。
また、佳苗が本について言及した文章も併せて載せた。


題:『別海から来た女 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』
著者:佐野眞一
出版社:講談社
帯:「これは、私の書いた『東電OL殺人事件』を超える事件だ」--著者
佐野眞一氏といえばノンフィクションの名手、『東電OL殺人事件』は代表作のひとつである。
それを超えると著者が言うのだからかなり期待したのだが……率直に言って、佐野氏の手法とこの事件は相性が悪かったと思う。
佐野氏はあくまでフィールドワークに重きを置き、この事件を「ネット犯罪の文脈で語ろうとは思わない」とする。
得意不得意もあるだろうし、さらに踏み込めば北原みのり氏がツイッターなどで佳苗について呟き、マスコミに露出していたことへの牽制もあるだろう。
とはいえ「(ネット文脈で語ることからは)切れば血が出る人間の物語は生まれない」というのは少し決めつけにすぎる気もする。
ただ、この本が他の関連本と一線を画すのは本家の祖父が生きている間にインタビューできいている点だ。
亡くなる四ヶ月前に滑り込みで成功、佳苗について「あれには悪いクセがあって苦労しましたからねえ」「人のものを盗むとか」「預金通帳です」「小学校時代です」という証言を得ていることはかなり貴重だろう。
また家族の名前がみな本名なのも特徴的だ。
全体的に、佐野氏は佳苗を「怪物」として片付け、距離を置こうとしている感がある。
おじさまばかりを手玉に取った佳苗の能力に恐れをなした、とみるのは穿ちすぎで、たぶんあまり事件に興味がなかったのではないかと思われる。
傍聴席で大きな声でのあくび、居眠りもけっこう目撃されていたようだ。
《佳苗評》「私は、講談社が発行しているノンフィクション誌「g2」を1度も読んだことがないのだけれど、私の裁判を全回傍聴し、「g2」でルポルタージュを書いた還暦過ぎの男性作家がいると12年の春に知った。どんな記事だろうと気になっていたら、5月に突然、講談社から単行本が届いた。表紙には、私の顔写真が使われていた。私の許可なく。勝手に。謹呈の札が挟んであるだけで、送付書や手紙の1枚もなく、本を送りつけてきた編集者の神経を疑いましたよ。一応読みました。(略)著者は、娘を育てたことのない男性だろうな、と思った。男性って、娘を持つことで人格の変容が起こるけれど、この著者には、女子の心に寄り添う精神的な土壌がないように感じられた。彼は、過剰な人の心の闇や血脈だのに拘泥し過ぎるあまり、大切なことを見失っている。取材対象をいかに口汚く罵ることができるかに全精力を注ぐ下品な芸風は、私の好みではない。それはともかく、この本で彼が、私について「おそらく」「だろうか」「思われる」「ではないか」「していたのだろう」「だろうと思った」と推測して書いた文章の全てが事実と異なっていることだけは、断言しておきます。(略)私は、佐野さんには感謝しています。ジャーナリストとして活躍する取材記者を何人も使って、著名なノンフィクション作家が、私についてあの程度の本しか書けなかったことは、自叙伝を執筆する時の励みになりました。取材記者が上げたデータを、自分が現地で見聞きしたことのように書く手法にも関心しました。彼の手にかかると、事実とは関係なく誰もがモンスターになり、面白い物語が完成するのも、作家としての力量でしょう。しかし、ノンフィクションで、それはいけない。彼は、12年に橋下徹大阪市長の人物論を書き、血脈思想、差別主義、人権問題で批判を浴び、その直後に、長年にわたって他人の著作からの盗用をしてきた剽窃問題のダブルパンチで休筆に追い込まれ、生ける屍となった。彼がまともな神経の持ち主であれば、体調を崩したであろうし、眠れぬ夜もあったと思う。晩節を汚した猪瀬直樹さんと同世代、同類の彼は、今後どうなるのでしょうね。彼は、私の裁判を傍聴して、裁判長の左側に座っていた20代の女性裁判官を「右陪席」と書いていました。もう少し勉強しないと。律令制の大臣のように左右があると、左の方が偉いと思っているのかしら。向かって右にいるものを左と呼ぶのは、神社の随神門に配してある武官の像の名称を考えたらわかるでしょう。向かって右の方を左大神と呼ぶ。中学生でも知ってるわよ。彼の目に映る私は、法廷でいつも薄化粧をし、つけまつげをつけ、アイラインまで引き、唇にはリップグロスを塗っていたという。佐野さんは心臓が悪いそうですが、ノンフィクション作家として復帰するのなら、まず眼科に行った方が良いのでは?知識や洞察力以前に、視力に問題があるんじゃないのかと思うなあ」(「ノンフィクション作家」2014年01月19日・木嶋佳苗の拘置所日記)



題:『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』
著者:北原みのり
出版社:朝日新聞出版
帯:"ブス"をあざける男たち 佳苗は、そんな男たちを嘲笑うように利用した
ツイッターでこの事件について呟くうちに出版社から声をかけられ裁判を傍聴して連載記事を書くことになり、それをまとめたという異色の経緯がある本書。
北原氏の佳苗に関するコメントはさまざな媒体で引用され、北原氏自身もマスコミに引っ張りだこになった。
その視点は独特で「色が白く、胸元キレイにあいたピンクのツインニットが似合ってた。午後は明らかに髪の位置が上がっていて、休憩時間にカールしてるとしか思えないほど、クリンクリンしてた。堂々とし媚びがなく仕草が優雅。魅力的だと、私は思った」「“鈴を転がすような声”とは、こういう声を言うのかもしれない」と書く。
そのせいか、佳苗に憧れる女性「佳苗ガールズ(カナエギャルズ)」がたくさん存在するかのような報道がなされた。
さすがの北原氏も週刊文春の記事「傍聴席はブスファンクラブ状態」は捏造だとため息をつくほど報道は過熱、その台風の目に近い位置に北原氏がいたといえる。
北原氏の問題意識のひとつは、日本社会に於ける男女の非対称である。
婚活サイトに登録する男性たちを見ても、考え方が単純で、己を省みず女性に夢ばかり求めているとやんわり示唆する。
また、男性検事や裁判官の強引で偏った論調にも疑問が呈される(判決が検察の求刑丸飲みだったことに関しては佐野氏も指摘)。
その辺りに好みが分かれそうだが、しかし佳苗のちぐはぐさは母とそっくりとか、セレブ設定は「そうであったかもしれないもう一つの私の人生」だったのでは、といった鋭い洞察や分析が多々あり、個人的にはもっとも面白い本だった。
興味深いことに、佳苗はこの本と著者を敵視しており、「拘置所日記」では訴えるとまで言っている。
《佳苗評》「小説を書き終えてからは、私に関して事実ではないことを吹聴し続けている、アダルトグッツショップを経営する女性ライターに対し、民事訴訟を起こす準備に明け暮れておりました。私や家族の名誉の為に、正誤をただしておかなければいけないことが、数多くあるからです。この証拠収集がいかに大変であったか、盤石の備えが出来たその顚末は、いつかここで記したい」(「私がブログを始めた理由」2013年12月24日・木嶋佳苗の拘置所日記)
「『女性自身』より1年早い57年創刊の女性週刊誌の1月21日号。見出しに何と私の名前が!「木嶋佳苗涙」どう考えても、私が涙を流した話だと思うでしょ。(略)びっくり。私の涙じゃなかった。見出しと記事の内容が違う、女性週刊誌お得意のパターン。私の一審判決を聞いて、法廷で涙を流していた知人女性の話だった。しかも、その話をしているのは、例の「毒婦」ライター。彼女が私に関して語ることの7割は、事実じゃありません。3割は事実かって?それは、NHKのニュースで報道されるレベルのこと。彼女の取材能力は限りなくゼロに近いので、ルポルタージュを書けるライターじゃないですよ。(略)毒婦ライターは、フラれた恋人に付きまとうストーカーみたい。片思いの恋愛が成就しなかった人、と言った方が正しいかな。私を気に掛けて下さる人たちは、彼女の言動を注視するのですが、心配ご無用。私は、あんな木っ端ライター相手にしないから」(「心がほっこりするイイ話」2014年01月17日・木嶋佳苗の拘置所日記)
「週刊誌で女性ライターが私の裁判傍聴記を書いているという噂は耳に入っていた。アポイントメントを取らず、週刊朝日編集部の女性2名と毒婦ライターが突然面会の申し込みをしてきたのは3月の終わりだった。埼玉の職員たちから、絶対会わない方がいい、あることないこと吹聴しているタチが悪いマスコミだと言われていたし、弁護人経由で聞く傍聴記の内容もいい加減なものだったから即答で断わった。(略)裁判員裁判中、毎週こんなデタラメな記事を連載されていたのか、と呆気に取られました。私の故郷を取材してきた内容の半分は、事実誤認というより嘘だった。その後、今に至るまで週刊朝日編集部からは一切連絡がない。連載を単行本として出版した際の献本もない。しかし、控訴審も傍聴しているってどういうことなんでしょうね。当事者取材をしない虚像作りが好きなただの礼儀知らず?」(「拘置所なう。」2014年02月28日・木嶋佳苗の拘置所日記)

※この書き振りから、北原氏が女性で、佳苗に好意的な書き方をしたことが逆鱗に触れたように見える。女性の同調などいらない、という佳苗の強い意志が窺える。

※さらに興味深かったのは佳苗はブログに「人や物や思想を取捨選択していくなかで、自分が何を好きかが分かり、私はやはり「木嶋佳苗」であると気づかされ、ちょっとショック!」「ポートネックでドロップショルダーのとびきり肌触りが良いふっくら起毛感のあるクリーム色のニットを着る幸せを与えてくれる彼に感謝しながら、拘置所の冬は寒くても、心身が暖かいのは物欲が満たされているから、という現実を堂々と書く。私は木嶋佳苗だから!」(「自叙伝「礼讃」が出版されたそうです」2015年02月27日・木嶋佳苗の拘置所日記)と書いているが、これは北原氏の「たとえ人生がかかっている裁判であっても、自分を変えることは容易くない。佳苗は佳苗らしく、被告人席に座っているのだ。それは“ふてぶてしい”なんて言葉じゃ表現できないほどの、怖いくらいの“佳苗らしさ”だった」(『毒婦。』)を無意識のうちにパクっていると思われる。読み込みすぎだよ、佳苗。



題:『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』
著者:霞っ子クラブ元リーダー 高橋ユキ
出版社:宝島社
帯:なぜ女も木嶋佳苗に魅入られてしまうのか。
裁判傍聴活動を行う霞っ子クラブの元リーダーという著者は、速記で傍聴メモをとるためかやり取りがかなり詳しく記されていて記録として価値がある。
全公判の1/3ほどしか載っていないのが少し残念だが、マスコミが大量の並び屋を雇った結果、傍聴の倍率が跳ね上がってなかなか見られなかったようだ。
話題の裁判では必ず起こるアンビバレンツである。
傍聴記の合間に挟まるコラム的な読み物は、佳苗のブリーダー時代を知る女性の証言(部屋にぬいぐるみがあり、カーテンの趣味も悪く田舎から出てきた地味な子という印象だったという)や、佳苗の犯行が単独且つ冷静である点を指摘するなど読み応えがある。



題:『死刑判決が出た! 木嶋佳苗劇場 完全保存版 “練炭毒婦”のSEX法廷大全』
著者:神林広恵+高橋ユキ
出版社:宝島社
帯:“優れた女性機能”で月150万円! 総額1億円超え!! 男たちはなぜそこまで貢いだのか?
『木嶋佳苗 危険な性の奥義』の著者高橋ユキ氏と元『噂の真相』デスクのライター神林広恵氏編著のムック本である。
週刊誌的な作りで、「一挙8万字公開!」という法廷証言のほか、中村うさぎ、岩井志麻子、倉田真由美の三作家の「カナエの深層心理を読む」や、「木嶋ブログの研究」など盛りだくさんな内容だ。
事件の人物相関図や年表など見やすくて便利で、ブログを書くに当たって参考にした。
しかし個人的に気になったのはなんといっても「座談会『キジカナのここが凄い!』追っかけ! カナエギャル大集合」である。
「佳苗ガールズ(カナエギャルズ)」についてはその実在が危ぶまれており、傍聴に行った住人も「さっき、とある雑誌の記者に取材されたんですけど、その時にカナエガールズ?のことをどう思うか聞かれました。マスコミは力士をモテない女の救世主にでも仕立てたいようで、そのようなことばかり聞かれました」「カナエギャルは企画が先で、文春の女性ライターが『上祐ギャルや市橋ギャルみたいなの探している』って言ってたよw そんな人見たことありませんって答えたけれどね〜」などと苦々しく語っていた。しかし、キャッキャと騒ぐ傍聴希望者もいたようで「こういう場違いな女が並んでいる事でカナエガールズとか、カナエギャルとか言われてるんだろうなーとも思いました」とも書き込んでいた。
本書の座談会を見てみると、6人の女性が登場、口々に「デブでドブスが1億円以上ものお金を取ったということに驚いたんです」「実物はどんなんだろうと。見世物小屋感覚ですね」「(佳苗に惹かれる理由は)自分の中にカナエ的な要素を持っているから?」「どうやったらそんなことができるのか、ちょっと参考にしてみたい、みたいな(笑)」「どこか憎めない女でもあったので、せめて無期懲役くらいであったら……とは思います」と、個人的にはまったく共感できない言葉が並んでいた。
でもこう感じた人たちもいたのだろう。
もしかしたら大多数の意見なのかもしれない。
どんな理由にせよ佳苗に興味を持ったら「佳苗ガールズ」なんだと言われればわたしもそうなのかもしれないが……。
《佳苗評》本書についての直接的な言及はないが「佳苗ガールズ」については「日本で一番売れてる週刊誌に、私の追っかけという『カナエギャル』が『法廷は彼女の舞台。自分の口で無罪を主張するはず。だから傍聴券のために絶対並びます!』と断言している記事が載ったこと。私の事件をモチーフにしたテレビドラマや映画製作の話があること。それらのことに辟易して、私は法廷で口を閉ざすことに決めたのだ」(「2審の被告人質問について」2014年01月31日・木嶋佳苗の拘置所日記)などと書いている。マスコミは嘘ばっかりというくせに、自分のファンの実在についてはなぜか信じている矛盾がいかにも佳苗らしい。結局この人は耳障りのいい言葉しか聞かないのだ。



題:『木嶋佳苗法廷証言』
著者:神林広恵+高橋ユキ
出版社:宝島社(宝島SUGOI文庫)
帯:首都圏連続不審死事件、永遠のミステリー。貢がせた金額は1億以上。男たちはなぜこんな女に?
『木嶋佳苗劇場 完全保存版 “練炭毒婦”のSEX法廷大全』の文庫化だが、女性作家の寄稿や座談会は再録されておらず、傍聴記にしぼった内容になっている。
それにしても『木嶋佳苗劇場』も本書も帯の文言に「1億円」という言葉が入っているのが面白い。
執筆者は女性たちなのに「男たちはなぜこんな女に貢いだのか」という男性目線なのも宝島社っぽい。
《佳苗評》「1審後に出版された多くの関連本のこと。刑事裁判の傍聴が趣味の素人ライターが雑に速記したインチキ本が「木嶋佳苗法廷証言」として文庫になったこと」(「2審の被告人質問について」2014年01月31日・木嶋佳苗の拘置所日記)



題:『毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ』
著者:上野千鶴子×信田さよ子×北原みのり
出版社:河出書房新社
帯:女たちが語る〈女の殺人事件〉「殿方へ。毒婦も聖女も紙一重。触れてみないと分かりませんよ。壇蜜」
北原みのり『毒婦。』出版をきっかけに開催された座談会をもとにした本書だが、アマゾンのレビューは絶賛の嵐であるものの、個人的には違和感をぬぐえなかった。
確かに「東電OL」も佳苗も売春をしていたし、機能不全家族に育ち、援交世代だったかもしれないが、それらの共通項はすぐに「家族に参加しない男」「女性を値踏みする男へのリベンジ」「日本女性の生きづらさ」というフェミニストお馴染の物語に回収されてしまう。
佳苗は本人も書いている通り、フェミニズムは大嫌いで男性への恨みはない。
佳苗は男性のみを殺したが、それは女が嫌いで(怖くてといってもいい)近寄らなかったこと、男性に対しても、返金しろとか訴訟を起こすと言われて反論できず、黙らせただけである。
男性への復讐というのは、どうも当たらないように思う。
しかし、いろんな見方を提示するのがこの事件なのかもしれない。


【インスパイア小説】


題:『婚活詐欺女』
著者:岩井志麻子
出版社:宝島社
帯:男たちは、なぜ、太ったオバサンの虜になったのか!? 稀代の詐欺女の超絶男たらしテク!−婚活サイトで知り合ってから練炭カーに乗せるまでー
帯を読むと、佳苗の事件まんまなのだが、主人公はリサという虚言癖の女である。
佳苗の事件を書いている作家に近づき、マネージャーになろうとするが嘘ばかりで作家は振り回される。
どうも実際にこれに近いかたちで岩井氏に近づいた女性がいたらしく、さまざまな小説でネタにしているらしい。
佳苗の事件は狂言回しのような役割だった。


その他、


真梨幸子『五人のジュンコ』(徳間書店)



百田尚樹『モンスター』(幻冬舎

などがあるようだが、未読である。
逆に、佳苗がインスパイアされたと言われているのは、


林真理子『花探し』(新潮社)
(主人公は二十歳そこそこから贅沢三昧な愛人生活、趣味でコルドン通い、付き合いには対価があって当然という思想、名器持ち)

ドラマ「やまとなでしこ」
(王子樣を探して周囲を振り回す物語。Sさんが松嶋菜々子のファン)

ドラマ「HERO」第三話「恋という名の犯罪」
(料理教室を経営する女結婚詐欺師をキムタク検事が追いつめるも不起訴になるというもので、男性十数人から一人百数十万を騙し取ったが証拠が無く起訴できず、キムタクは女結婚詐欺師に負けたと認めたという内容である。「桜の欲求不満日記」2006年7月4日にその名も「hero」というエントリがあり、ドラマを視聴したことを書いている)

といわれている。
機会があったら見てみたいと思っている。

20150712




木嶋佳苗とはなんだったのか

木嶋佳苗の起こしたいわゆる「首都圏連続不審死事件」はここ数年では珍しいほど長く注目された事件だ。
その注目ポイントを大きく分けると以下の4つではないだろうか。
①インターネット、婚活、独居老人といったキーワードがキャッチーだった。
→社会学者やコメンテーターがニュースバラエティーなどで語りやすかった。

②美人風、セレブ風の設定で騙していたのに実は肥満体型で不細工だった。
→勘違い女性は叩きやすかった。

③家庭的な女性を売りに男性の被害者を騙した。
→一部のフェミニズム的傾向のある女性たちにある種の痛快さを感じさせた。

④オマケ:裁判が始まるとお着替え、「名器発言」など話題性があった。

しかし、ここではっきりさせておきたいのは、わたしの関心はあくまで「あまりにもインターネットに足跡を残しすぎていた詐欺師」という点に尽きる。
どんな凶悪事件を起こした犯人でも、発覚するまでは友達や恋人に囲まれて遊んだり働いたりして普通に生活している。
そのことは頭ではわかっているつもりだったが、いざ目の前に本人のブログや関係者の証言が大量に出てくると、驚かされることばかりだった。
とくに詐欺が絡んでいる場合、どこまでが本気でどこからが演出なのか、被害者はどこに騙されたのかなど、興味は尽きない。
佳苗はブログを三つも四つもやっていてあらゆることを書き散らし、無駄に高い行動力でいろんなところに出没していたので検証材料に事欠かず、お陰で詐欺師の心理についていい勉強になった。


木嶋佳苗とはなんだったのか。
その問いを解くために、佳苗に関する「よくある質問」を考えてみよう。

・佳苗がこのような事件を起こすまでになったのは、親のせいなのか、環境のせいか、本人の資質か。
全ての要素が渾然一体となっていて、答えを出すのは手練の犯罪心理学者でも容易ではないだろう。
ただ佳苗誕生の必須要素として、家族に妙な選民意識を植え付けられていたこと、家にも地元にも居場所がなかったこと、身体が早熟で家から出るには男性を宛てにするしかなかったこと、徹さんとの出会い(詐欺師だったかどうかは別として)、インターネットを利用して出会いが増え、見栄をはる必要もでてきたこと、リサ爺という太客を掴むことに成功し都合よく亡くなったことなどが挙げられる。
そのどれかが欠けたら、ここまでの内容、ここまでの規模の犯罪は起きなかったのではないか。
結果論でしかないが、しかし悪い意味でミラクルが重なったとしか思えない。


・佳苗は病気か。
これも専門家にしかわからないが、本人が「アダルトチルドレン(機能不全家族で育った子供)」と「適応障害」と鬱を診断された過去を認めているため、精神的問題を抱えていたことは事実だろう。
「アダルトチルドレン」には「マスコット」「ケア・テイカー」「ヒーロー」「スケープ・ゴート」「ロスト・ワン」という5タイプがあるというが、佳苗にはどれも少しずつ当てはまる。
また、まぶたの痙攣や不眠症、帯状疱疹など強いストレスがかかっていたことを示唆する症状が出ていたことも忘れ難い。
ちなみに住人の勝手な推測のなかで出てきた病名は「自己愛性人格障害」「サイコパス(反社会的人格)」「甲状腺機能亢進症」「大脳皮質の器質的障害」「思春期早発症」「報酬欠乏症(RDS)」などなど。
裏付けはないが、病名で検索すればそれぞれ佳苗に当てはまるように思える部分がある。


・佳苗は本当に自分のことをセレブで美人だと思っていたか。
ここがわたしの最大の興味のポイントだった。
もし現実がまったく見えていない人であるなら、常識で何か言ったところで何の意味もないからだ。
しかし結論からいえば、佳苗は自分がかわいくなくて太っていることを十分自覚していたことがわかる。
太っていることに関しては、そういう女性が好きな男性と付き合っていたこともあってそこまで悩んでいたようには見えない(とはいえ、女性からは冷たい目で見られていることはわかっていて、それも女性が嫌いな一要因だったとみる)。
しかしかわいくないことに関しては相当なコンプレックスだったようで(『礼賛』のなかの「花菜ちゃんは絶世の美女に生まれつく以上にラッキーな能力を持って生まれてきたんだ」といった表現に顕著だ)誰かに(母か祖母?)何か言われたというような具体的なエピソードがあったに違いない。


・佳苗は男をバカにしていたか。
ここを大きく見誤る人が多いのだが、佳苗は男性をバカにはしていなかったと考える。
保守的な佳苗にとって世界は男性と女性の二種類しかなく、女性が嫌いである以上男性に頼るしかない。
佳苗を好みだと言ってくれる男性と、お互い耳障りのいい言葉を言い合って共依存している関係がもっとも安心できるのだろう。
そのために自分の意見を抑えて相手を立て、どんな話にも同調する。
住人の証言にあった、太った愛人稼業の女性たちの常套手段というのも印象深かった。
太った女性が好きな男性は女性に包容力を求めるいわゆるマザコンで、社会的地位も比較的高いということはよく言われている。
佳苗の理想はイケメン(あくまで佳苗基準)で金持ちで包容力のある男性だが、すべての条件を備えた人は残念ながら現れなかったため、イケメンであれば狭量で貢がなければならないSさんにすら依存した。
佳苗がもし男性をバカにしているように見えるとすれば、それは他人すべてをバカにしているからである。
佳苗の世界で頭のいい順番は、佳苗>(詐欺師)>男性>家族>女性である。


・佳苗は本当に結婚したかったのか。
欲求不満日記では、結婚したい、王子様の登場を待つとしつこく書いていたが(そして既婚の次女にも嫉妬していたが)本音は結婚したくないのだとわたしは思っていた。男性をとっかえひっかえ、金を引き出す愛人生活をしながら結婚したいといわれても誰も本気にしないだろう。しかし、今春に獄中結婚してからの落ち着きをみると、本当に結婚したかったようだ。とはいえわがまま放題で真っ当なストレス解消法もあまり知らない佳苗であるから、普通の結婚生活は続かないとみる。塀の外と中という今のスタイルが実は理想的かもしれない。


・佳苗の最終目的は何か。
これは塀の外時代と中時代で変わってくる。
外時代の最終目的はよくわからない。
東京に来たころはそれこそ金持ちのおじさまを捕まえて結婚したかったのかもしれないが、末期にはだいぶヤケクソになっていたし、うまいものをたらふく食ってバーキンやベンツで武装してマウンティングが成功していれば良かったのかもしれない。
料理教室も学校(「女子栄養大学」「ル・コルドン・ブルー」)もあくまで武装のひとつ、本気で何かを実現したかったわけではないだろう。
問題は中にいる今だ。
佳苗は拘置所にいる間に自分が相当話題になっていることを知り、自己愛が爆発して主役になる快感を覚えてしまった。
さらに「冤罪で死刑囚になりつつある女性」という世間体(冤罪だと思う人はごく少数だと思うが)と、被害者的立場を得た。
そこで「非人道的な扱いを世に問う」という名目で、ブログだの本の出版だのニコニコ動画配信だのライターを訴えるだのと話題性を保つことに腐心した。
とはいえ、もう具体的に見栄をはる相手は目の前にいないので、好きなだけ太り、好きなだけ妄想を書き散らし、お気楽極楽な生活を手に入れた。
取り調べがきつくて心が折れかけたし、裁判でも矛盾を突かれて発熱し、手記ではつい「心奥の暗闇に潜り、自分の悪の根源、歪んだ価値観、狂気を孕んだ不健全な魂を直視した」などと本音も出たが、のど元過ぎれば熱さ忘れるで、死刑なら死刑でいいや、どうせ女性の死刑囚は無期みたいなもんだし♪(これに近いことを『礼賛』に書いている)ってな感覚だ。
失うものが何もない状態になった佳苗は恐ろしい。
と思っていたら突如獄中結婚を発表、かなり精神的に落ち着いた。
獄中結婚がとてもいい手なのはご存知だろうか。
まず、家族がいる死刑囚は刑の執行が遅いと俗に言われている。
また、最高裁で死刑が確定すればその後の面会は家族のみになるため、元支援者の夫がいれば他の支援者とも繋がりを保つことができ、まだまだ外への活動が可能になる。
ともあれ、今は結婚で落ち着いているが、慣れてくればまたぞろ話題性を狙ってくるに違いない。
名誉棄損の訴訟はやると思う。
支援者に止められて一旦は諦めたが、チームもぐだぐだになったようだし世間の耳目を集めるには有効な手段だ。
不審死事件では敗訴だが名誉棄損では勝訴、という流れは負けず嫌いの佳苗の好きそうなことだ。
また、事件に関する小説(本)は必ず出すだろう。
本のなかでは被害者全員が都合よく勝手に自殺するかもしれないが、容姿や人格など好きなだけ冒瀆するに違いない。
そのときはぜひ名誉棄損で訴えられてほしいものである。
死刑の暁にはウエディングドレスを着るかもしれない。
それくらいのことはやりかねない。
とにかく一般常識の斜め上の言動が多い佳苗である。
何をしようがこちらは無視を決め込むしかないが……それもなかなか難しい。


最後に。
佳苗は今も拘置所から「木嶋佳苗の拘置所日記」というブログで世間に存在感を見せつけている。
相変わらず好き勝手書いてはいるが、世間の目というリミッターが外れているためかなり幼稚で馬鹿馬鹿しい内容だ。
エントリで触れようかと思ったが、今回はあえて書かない。
第一のフェーズ(婚活セレブ時代)が「カインド掲示板」「ぽっちゃりソープ嬢さくらのブログ」「桜の欲求不満日記」「かなえキッチン」だとすると、第二のフェーズ(男性モテモテの過去暴露時代)が「一万二千字手記」と『礼賛』であり、今や第三のフェーズ(ヤケクソ死刑囚時代)に入っている。
片目で注視していきたい。

長々とおつきあいありがとうございました。
明日は附録として関連書について書いて終わりにします。

20150711




6.【おまけ】『礼賛』落ち穂拾い

『礼賛』解剖シリーズのなかで拾えなかった気になる文章をピックアップしてみた。ここまで読んでくれた人なら、存分に突っ込める文ばかりである。奇書『礼賛』の雰囲気をぜひ味わっていただきたい。


私の頭にいつもよぎっているのは、西のおじいちゃんと西のおばあちゃんであり、本家の祖父母のことを恋しいと思ったことは一度もない。私が生まれたときに、グランドピアノより高価な八段飾りの雛人形を買ってくれたのは西の祖父母で、雛あられを持ってきたのが本家の祖父母である。(「女王蟻」p27)


赤旗おじさんが、日本共産党の人で、民青が日本民主青年同盟の略称で、民青の組織化には日本共産党が協力していて、どうやら父は大学時代に民青で活動していたらしいと知ったのは、私がもっと大きくなってからである。(「西の祖父母」p39)


「ここは、毎日清潔にするんだよ」と言って、西の祖母は、自身の陰部に泡立てた石鹸をつけて洗った。細い縮れ毛がうっすらと覆った祖母の陰部は、ピンク色の粘膜がなまめかしい光を帯びて、色素の薄い真っ白な祖母の肌と釣り合って、美しかった。(「初潮」p49)


ぽっちゃり体型への皮肉を、西の祖父母の養育を持ち出して話されると、屈辱を与えられたような気分だった。自分の価値を否定するような指摘を、柔らかく自然にほのめかされることで、私は母に対して安心感を得られず、自分を理解して温かく受け入れてくれる存在ではないのかと思う事すらある。(「変質する母」p56)


私は、漱石の小説を読んで「高等遊民」という言葉を知ってしまったのである。同級生が「私はケーキ屋さんになりたい」「僕は科学戦隊ダイナマン」なんて言っているときに、私は自由を謳歌する高等遊民しか意識にのぼらなかった。(「高等遊民」p65)


私は、西の祖母のように、旦那さんに尽くし、家庭を守る女性に憧れていたので、自分が大人になって外で仕事をするということを、ちらりとも考えたことがなかった。教育熱心な両親も、職業については何も言わなかった。働いている素敵な女性もいたけれど、私には向かない気がした。(「高等遊民」p66)


歩美ちゃんはさっぱりした気質で、とても付き合いやすく、放課後もいっしょに遊んだ。歩美ちゃんの部屋で裸を見せ合いながら、お医者さんごっこをした。そしてその流れで自然にキスする。(「交換日記」p85)


東京から来た雅也君という中二の男の子が、真由ちゃんより私のことを気に入っているらしいということだけは間違いなさそうだ。アメリカに住み、お父さんは大きな法律事務所の弁護士で、お母さんは女優みたいに美人で優しくて、そんな両親の一人娘として育てられている可愛いお嬢様。英語が話せて、バレエが踊れて、ピアノも弾ける。勉強もできて信仰が篤く、熱心に教会へ通い貧しい人々の役に立ちたいと考える心優しい少女。麻雀でいうところの満貫みたいな真由ちゃんに、私は勝ったのだ。(「ヤマザトと雅也君」p101)


「俺は大人になったら、絶対にフェラーリに乗るんだ」と、力強い口調で断言した。雅也君がその夢を叶えて、真っ赤なフェラーリF40に乗って私を迎えに来たのは、私が十九歳の春だった。(「ヤマザトと雅也君」p114)


レディースコミックは幾つか毎月読んでいた。しかし、私が買っていたのは少女漫画を卒業した女性向けの漫画誌といったものだった。雅也君によると、表紙がイラストのものはソフトで、写真のものは過激な性描写があり、ポルノ色が強くレディコミと呼ばれているらしい。(「思春期」p126)


布団叩き棒を振り上げるときの母は、鬼の形相だった。下唇を噛み、小刻みに顔を震わせ、目尻は吊り上がり険しい表情から怒気が滲んでいた。三角になった母の目は悪魔に取り憑かれているとしか思えなかった。声も上げず、涙も流さない私が憎らしい、と母は言い、棒を持つ手に力を込めた。やがて惚けたような顔をしてせせら笑ったかと思うと、突然冷ややかな顔に戻り、睨み付けた(「虐待」p133)


祖母たちは、母が「最近とみに常軌を逸した言動が目立つ」「顔付きも変わってきた。更年期障害ではないか」「いや、あの人は人格障害だ」「精神障害だ」といった物騒なことも言い出した。まるで、自分たちとは血のつながりがない人のことを話すような口振りだった。(「虐待」p138)


十七歳の私は、祖母も十七歳でセックスをしていたことに強く親近感を覚えていた。母は二十七歳で結婚し、二十八歳で私を産んだ。多分結婚するまで処女だったのだろうと思う。以前、妹が「お母さんは、お父さん以外の人と付き合ったことないの?」と、尋ねたことがあった。そのときの答えが、高校時代告白された、お見合いの話はたくさんあったという話ばかりで、具体的に男性と交際していたというエピソードはひとつも出ず、妹に、「つまんないの」と、ぼやかれていたのである。(「節気菓子」p215)


彼がお土産に持って来た紅花をかたどった和菓子と求肥にくるまれた葡萄を食べ、膣の襞に染み入るような彼の歌声に酔い、ペニスをくわえ、心と体を潤した。受験勉強の合間のセックスは、私にとってユンケルで、彼の存在が生きるモチベーションになっていた。(「節気菓子」p217)


スナック菓子は滅多に口にしない私が、レンタカーの助手席やカラオケボックスで、カールを食べるのを見て、徹さんは播磨屋の「朝日あげ」という丸い揚げ煎餅をお土産に持って来てくれた。御園菊と月兎の生菓子と、朝日あげを交互に食し、いつまででも食べていられるわ、どうしよう、と本気で困った。(「節気菓子」p220)


卒業後は離れ離れになる仲の良い同級生が、ちょっとしたパーティーを開いてくれた。主役の私は、ホテルの別室で待っている彼のことばかり考え、気もそぞろだったのだろう。彼女たちとの話題のほとんどが進路のことだったことしか覚えていない。私の地元での思いでは全てそうなのだ。大切な男性以外とのでき事は、すぐに色褪せて忘れてしまう。(「節気菓子」p225)


就職する気は微塵もなかった。自分が仕事をするなんて考えたこともない。お金は男性が稼いでくれるものだと思っていた。それは未来の旦那さんかもしれないし、いざとなれば父がいる。雅也君とお兄ちゃんも助けてくれるだろう。男性は経済的に頼りになる存在だと漠然と考えて生きてきた。(「節気菓子」p217)


取調室と呼ばれる部屋に連れて行かれると、二人の男性が待っていた。年は父と同年配だろうか。二人は揃って大型量販店で売っていそうな吊しのスーツを着ている。刑事は、安物のスーツしか着てはいけない決まりでもあるのだろうか。Vゾーンがやけに広く、だらしがない。自分の体のどこの寸法にも合っていないように見えるスーツだった。(「事件」p246)


花代ちゃんはいつものバスタオルを手に持ち、妹の菜美ちゃんは、ナインチェ・プラウスのぬいぐるみを抱いていた母はうさこちゃん、美穂はミッフィーと呼ぶその兎のように菜美ちゃんの口は閉じられている。とてもシャイでおとなしい少女だった。(「故郷の人々」p293)


フライドチキン作りに挑戦したら、鶏肉に秘伝の粉をまぶすのに手間取り、やけに味の濃いフライドチキンが出来てしまい売り物にならず、巨大な圧力釜一つ分のチキンを廃棄することになった。タイマーをセットし忘れて、ポテトを揚げすぎたり、ビスケットを焼き過ぎたりして損失を出すたび、店長はぷるぷる震え怒鳴っていた。(「新入社員」p302)


私は大阪に行くと、イカ焼きを五枚食べるまで帰らないことにしていた。(「私の体は文楽の人形」p307)


私は優子さんと高島屋、美樹子さんと三越の開く展示即売会や受注会に行き、老舗呉服店系の百貨店の顧客達が醸し出す雰囲気を肌で感じていた。鉄道系とは格が違った。物を買う時は、必ず正規直営店で新品を一括払いで買う人達だ。間違ってもドン・キホーテやコメ兵でシャネルのバッグを買ったりしない(「VIPなおじさまたち」p325)


日本赤十字社から、そのとき献血した血液の検査結果が郵送されてきたのは、ロッテがトッポを発売した四月のことだった。(「世にも美しいダイエット」p338)


私は本を閉じ、彼を見た。四十歳前後だろう。センスの良いスーツを着ている。スーツを一着買ったら二本ズボンがついてくるようなメーカーのものではなさそうだ。松屋銀座の「銀座の男」市の催事でパターンオーダースーツを作ることを習慣にしているタイプに見えた。(「愛人倶楽部」p343)


この日私は、膝丈のスカートに森英恵のジャケットを着て、フェラガモのパンプスを履いていた。歌舞伎に誘われ、朝から美容室で髪をセットしてもらい、普段よりお洒落な格好をしていたのだ。腕時計は雅也君から貰ったショパールで、ダイヤモンドがキラキラ光っている。十九歳には見えなかったのだろう。(「愛人倶楽部」p344)


私が売春や援助交際という言葉にピンとこないのは、愛より先に性を知ったわけではなく、お金が介在する関係でも、必ずそこに愛があったからだと思う。私がしていたことは、拝金主義でも、承認欲求でも自傷行為でもない。親への欲望を代理充足したわけでもない。自分がしたいと思ったことが、タイミング良く与えられ、私はそれを普通より上手にすることができたので、多くの報酬を得て、楽しく続けてきた。自分を大切にし、男性に優しく接し、幸せな時間を共有した。売春や援助交際という単語につきまとう悲愴感は、私には無縁のものだった。(「愛人倶楽部」p346)


「私、このお店たまに行くんです。今もお財布の中にメルシー券が入ってます。買い物してから、九階のティーラウンジで黒パンのパストラミサンドを食べて、北欧の紅茶を飲んで、休憩してから帰るんです。ダイエットする前は、和光とアンジェリーナのモンブランも楽しみでしたけど」(「愛人倶楽部」p350)


その日の夕方、ゴトウフローリストから大きな花束が届いた。ホテルマンノような制服を着た花屋の男性が配達に来た。「Wao!!と、声を上げ感激した。(「愛人倶楽部」p351)


「花菜ちゃんとなら、動かなくても勃起していられるよ。花菜ちゃんは絶世の美女に生まれつく以上にラッキーな能力を持って生まれてきたんだ。これは凄い」(「愛人倶楽部」p352)


私は年上の人が好きだったから、若い男性の性欲と好奇心に振り回されず生きることができた。私が男性にしていたことは、生産性のないことだったけれど、社会になくてはならない生産性のある必要不可欠な仕事をする男性たちのオアシスになろうと思っていた。(「愛人倶楽部」p353)


「こんな数字見たことがない。二十代女性の平均値は二十二m/mHgなんだよ。今度はこれを挿入した状態で歩いてもらえるかな」と言い、紡錘状のコーンを私の膣に入れ、一分タイマーをかけた。重さを四度変え、五段階あるコーンを試した。「五でも落ちないな」(「女目線の名器研究」p359)


「私、これ出来るかしら。ちょっとやってみます」私は凹型の椅子に足から潜った。「沙也さん、お腹がつかえて……潜り抜けられません」「あらぁぷぷっ」失笑された。(「女目線の名器研究」p364)


風俗を語る時、人は皆、偽善者になる。風俗店で働いたことのある人や利用したことがある人でさえ、性的産業に対してとてつもない侮蔑感と差別感を持つということを、私は裁判所を通して知った。裁判員裁判の被告人質問で、検察から売春や風俗という言葉を連呼され、それが穢らわしいもののように取り上げられたものだから、性風俗産業に関わる方から同情の手紙を貰った。多くは経営者だった。(「女目線の名器研究」p367)


私の事件に多くの女性が反応したのを知って、男性に対して欲求不満や苛立ちを感じている不幸な女性が多いのだなと思った。自分に自信があり、自分の希望を叶えてくれる男性がいる女性は、多分私の事件に反応しないのではないだろうか。自分の人生に不満を抱いている女性たちが、私の容姿や人格的な誹謗中傷をすることで、自らの不安や憤りを回収させている気がした。女性たちの狭量さには、正直言って驚いた。(「女目線の名器研究」p368)


どんな意気がっている男性でも、心の底には抑圧された弱さと甘えがある。そこをさりげなく刺激し、優しく汲み取ってあげるのが女性の役目だと思い、私は男性に接してきた。(「女目線の名器研究」p368)


私が性風俗店に勤めなかったのは、不特定多数の男性の相手をしている女性を、男性が心から大切にしてくれることはないだろうと考えたからである。これは正しかったと思っている。安売りしていたら、男性から大切に扱われることはなかっただろう。女性と群れなかったのも良かった。(「女目線の名器研究」p368)


「私の父が泉屋のクッキーが好きで、あそこのクッキーは全種類食べたことあるんです」「泉屋のも歯ごたえがいいね。これは、今晩行くレストランで売っているクッキーなんだよ」伊東さんはインターホンで、「村上開新堂のクッキー缶を持ってきてほしい」と、森さんに指示をした。(「伊東さんとの誕生日」p379)


二十歳になってから、古代ローマ詩人オウィディウスの『恋の技法』という本を読んだ。(略)「安全に得られる快楽というものは、得られたところでそれだけ楽しみは少ない」金言だと思った。「十分使用に供しても、あの部分だけは損耗のうれいがない」そうだなと思い、私は二十歳になってから、積極的に男性と身体を重ねた。(「デートクラブ」p388)


ステディーな健ちゃんとハイソサエティの紳士しか知らないのでは男性の評価に偏りが出てしまうと危惧したこともある。そこで私が登録したのは、池袋のデートクラブだった。渋谷は近過ぎる。新宿は恐い。池袋の雑多な雰囲気や距離感が良かった。(「デートクラブ」p388)


デートクラブで紹介される男性にお金の期待はできなかいのはわかっていたから、水谷さんの反応は想定内のことだった。水谷さんは、滝沢の謝恩券と書かれた二百円の割引券を伊東屋のメルシー券の如く大切に財布の中にしまっていた。(「デートクラブ」p391)


デートクラブで紹介される男性のセックスは一様に下手だった。センスが悪かった。セックスが貧乏臭いのだ。(「デートクラブ」p391)


しかし、お金は出すが、内面は異なる種類の人もいる。それは、低い自己愛をお金を稼ぐことで補填するタイプの人だ。この手の人は、自分に対して自信が持てず、お金を払うことで自分も貢献し、相手の充実した世界にコミットしたような感覚を味わい、その刺激を喜びとする。こういう人は自身に魅力が低いので、付き合っていて面白みのない人が多い。(略)三十台になってから、特に、インターネットを通じて出会った人は後者ばかりだったように思う。(「デートクラブ」p394)


「なんでコンパするのに偏差値が関係あるわけ?」「美穂、長野大学の偏差値知ってるの? 四十よ。偏差値四十ってなかなか聞かない数字よ。私の数学の偏差値だって、もう少しあったわよ。第一、学部の名前も環境ツーリズムだの企業情報だのよくわからないじゃない。信州大学は教育学部でも六十近いのよ」(「年下のたっくん」p400)


シーズー犬のサークルを立ち上げ、ボランティアのアニマルセラピーと子犬の斡旋の二部門を作り、活動を始めた。広告代理店の知り合いに宣伝を依頼し、二十人を超えるスタッフを採用した。(「年下のたっくん」p405)


結婚は、一人の男性の専属娼婦になることだ。その一人の男性を決めるためにいろんな男性と試しに付き合ってじっくり選ぶのは当然だし、その過程で、別れ話を切り出さなくてはいけないこともある。(「年下のたっくん」p407)


初めてしたオンラインゲームは東風荘で、初めて登録したメルマガは楽天市場で、初めて参加したメーリングリストは合羽橋道具街の食と料理がテーマのものだった。(「年下のたっくん」p408)


両親の仲は完全に崩壊していた。長男が高校を卒業するまでは、と父は頑張っていたが、母は家出を繰り返していると聞いた。そのことで、私は母から相談や報告を受けたことはなかった。母は知人の家に身を寄せたり、長野の美穂のアパートで同居しているということをたびたび家族から耳にした。母が私は頼ることは一度としてなかった。(「年下のたっくん」p411)


iモードがブームになり、インターネットの巨大掲示板2ちゃんねるが開設された。そこに集う人の心理がわからなかった。2ちゃんねるの玉石混交、虚実入り交じった情報の嘘を見抜ける人はそう多くないだろう。そういう人でない限り、あの手の掲示板を使うのは難しいと思った。私にとって2ちゃんねるは、バイブレーターと同様、興味が持てず近寄りたくないものだった。(「年下のたっくん」p412)


関谷さんには、九八年に出会った頃から私の名字は吉川と名乗っていた。名は「桜」。知り合ったきっかけが、教育関係が集うインターネットサイトのオフ会だったこともある。当時、私は、パソコンを持っておらず、友人のピアノ講師に誘われて参加した飲み会だった。雅也君が「インターネットはパソコン通信とは違う。信用できる相手かわかるまで本名は教えない方がいい」と言い、吉川桜というハンドルネームをつけてくれた。(「関谷親子」p434)


信用させる為の工作に、私は架空の母「吉川淳子」という女性を登場させた。このことを書き出すと、また一年かかってしまいそうなので省略する。(「関谷親子」p435)


「俺はモテるんだぜ」「俺は、仕事が忙しくて、趣味が多くて大変なんだ。俺にセックスしてほしいなら、それなりのものを用意してくれないと会えないよ」お金だ。暗に匂わせるというより、直接的にお金を要求する発言をした。私にお金を要求する男性がいるなんて。しかもセックスの対価として。これにはたまげた。彼は売り専や枕ホストの真似事をしようとしているようだった。こう言っては悪いが、彼は、女性からお金が取れるセックスをできる人ではない。そのことを自覚していないのだ。(「関谷親子」p436)


振り込め詐欺が流行する前から、他人名義の銀行口座と架空口座とプリペイド携帯は、あらゆる詐欺のマストアイテムだった。私も全て持っていた。(「関谷親子」p438)


私は関谷さん以外の彼氏の家族とも同様に付き合ってきた。本人がおらずとも、彼の家族から食事や買い物に誘われることもあった。雅也君の家族に始まり、健ちゃん、たっくんもしかり。美術館や観劇に行く事もあったし、旅行もした。そういうふれあいがあったからこそ、東京での生活は潤いと温かさに満ちていたのだと思う。彼を抜きに、彼の家族と会うのがおかしいという感覚は、上辺だけの希薄な人間関係が普通になっている人のものだろう。(「関谷親子」p443)



関谷真彦と吉川淳子とのメールは、裁判には出なかったが、どこの都県の捜査でも話題にされた。「誰に書いてもらったんだ? 経営コンサルタントの岩路か? コーチングの菊地か? 出版社の三宅か?」どこの刑事も検事も、私が自分で書いたとは思っていなかった。読み返しても大した事は書いていないのだが、公務員の感覚では、若い女が考えることとは思えないらしかった。(「鬱」p455)


いくつ矛盾を見つけられるか、ある意味「木嶋佳苗検定」の様相すら呈している。