20111031



先日、有楽町に用事があり、その後なんとなくプランタン銀座に足が向いた。
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
そもそも、デパートやファッションビルの類いに行かなくなって久しい。
いつも混んでいるし、圧倒的な商品数と高圧的な価格で迫ってくるので、億劫だ。
なんとなく、OLやサラリーマンなどの真っ当な人たち(朝はラッシュの電車に揺られて出勤し、昼は街でランチをとり、夕方には解放されてレストランやバーを冷やかすような)や、大学教授の奥様、羽振りのいい自由業の人たち(中元、歳暮を欠かさないような)の場所という気がして、どちらでもない自分はお呼びじゃない感じが強くする。
それでもその日プランタンに入る気になったのは、比較的空いていたのと、古色蒼然と言っていいような、創業以来変わらないロゴの側面看板が目に入ったからだ。
実際それは懐かしい以上に、部外者のわたしですら少し心配になるほどに古ぼけていた。

中に入ると、鐘のようなサウンドに続いて「Madame et Monsieur ……Printemps Ginza」というお馴染みのジングルが流れ、これまた懐かしい。
日本人のフランスコンプレックスを刺激するいかにも見え透いた手法だが、わかっていても気分がいい。
ファッション階はとばして、上から二番目の雑貨のフロアに行った。
文具、小家具、キッチン用品、バスグッズなどが並ぶそこは、どれも不思議に今のわたしの興味と重なり、時間をかけて丁寧に巡った。
その後、最上階を見て(そうそう、カルチャースクールは「エコール・ド・パリ」という名だった。モッズヘアではなかったが美容院も昔からあった。女性向けスポーツウェアもここだった)、地下二階の食品売り場を見て周り、大いに気分転換をして出てきた。

それから三日後の今、そのことを反芻していたら、以前あの場所に頻繁に通っていた時代があったことに思いあたった。
どうして忘れていたのだろう。
毎日とは言わないまでも、週一回か二回か三回か、定期的にあの場所にいたのだ。
暗い気分のなかの気晴らしで、場違いな格好を気にしていたのを覚えているので、習い事をサボって制服でうろついていたに違いない。
しかし、いつのことか突き止めようとしても甚だ曖昧だ。
制服といえば中学か高校だが、習い事をサボるのはわたしの得意技なので、それだけでは決め手に欠ける。
なにしろありとあらゆる習い事をサボり、にも関わらず母は懲りずにさまざまな習い事をさせたのだ。
中学時代には英会話教室に行かされたが、少人数制を謳うそこは社会人ばかりで話が合わず、イギリス人の先生はよくわたしをからかいの種にしたので行くのがいやになった。
高校時代は新宿、お茶の水、水道橋の夜間美術教室に通ったが、クラスの連中が子供っぽく見えて距離を置くうち、疎外感を感じてつまらなくなり、頻繁にサボった。
時間つぶしに行く場所は本屋が多く、新宿南口の駅ビル内本屋で立ち読みしたり、渋谷パルコ地下に当時あった「アール・ヴィヴァン」や「カンカンポア」などによく行った。
それはよく覚えているのだが、プランタンについては思い出せない。
あれはいつ、何から逃避していたのだったか。

とはいえ、当時の店の雰囲気はとてもよく覚えている。
一階にはアクセサリー類が充実していて、雑貨のフロアと最上階では催事をやっていた。
額に入ったポスターが大量に売られていたのを覚えている。
別館一階にはポプリが香り、別館地下には贈答用食器があった。
店内は細かく思い出せるのに、自分のことだけがわからない。
まるで夢の中か、幽霊になったようだ。

こんなふうに、突然四半世紀も前の記憶がよみがえったのも、プランタン銀座がほぼ当時のままだったからだ。
バブル以降、変わらない街は多くなく、ファッションビルなどはリニューアルで話題づくりを計ったり、経営難で統合・廃業したりと忙しない。
有楽町の真ん中で、幾多の荒波にも負けず(なのか、単に鈍感なのか)奇跡的に残っているプランタン銀座も、近く変化が訪れるだろう。
変わらないで欲しい気持ちもあるが、あの変わらなさはまずいのもわかる。
結局、わたしにとってのプランタン銀座は、とっくに夢のなかも同然の場所なのかもしれない。

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