●インターネットで拾ったネタ「常連客のアダ名」
◎「尊師」。いや、見た目そのまんまなんだけどね。店に入って来たとき、同僚と一緒に、密かに尊師のテーマを歌って迎えてる
◎「田中J」。以前、アルバイトの女の子に「暇だったら電話して」とメモを渡したが、それには「田中J」の謎の文字が・・・ みんなで頭を悩ませたが「田中 自宅」の略のつもりだったらしい。それ以来、影で「田中J」と呼ばれ親しまれている。 普段はとても良い人なんだけど・・・
◎「汁婆(しるばあ)」。おでんのカップすれすれ一杯まで、おつゆを請求するおばあさん。たまご1個の時も、必ず汁はこぼれそうなくらい入れてという。だから「汁婆」。でもとてもかわいらしいおばあさんだから、いいけどね。
◎「キノコ」。髪型からそう呼ばれてる。そいつがこないだ「なめ茸」を買っていった。
◎「ドアマン」。毎日深夜頃、日本経済新聞を買ってドア近くで待機し、美人の客が買い物して帰るときサッとドアを開けてどうぞと言って開ける男。はっきりいって観てて気持ち悪い。毎夜おんなじこと繰返してるので、常連の女性客も怖がって警戒したりして、このままじゃ女性の客が寄り付かんと踏んでか、オ−ナ−はその男に営業妨害と言う理由で注意して来なくなったのさ。
◎「チワワばぁちゃん」。チワワを連れて毎朝やってくる。よぼよぼとした足取りが小さなチワワの歩調とぴったり合ってて、とっても微笑ましい。
◎「ボクサー」。人がいなくなったのを見計らって店の壁の鏡でいきなり、シャドウボクシングはじめるから。ちなみにそいついつも、ジュースに話し掛けてなんだか非常に不気味。
◎「全天候型酔っぱらい」。晴れの日も雨の日も、今日みたいな雪の日も、タクシーに乗ってやってくる。
◎「ダバンプ」。数人の若者集団。夜の1時から2時ころまで駐車場で踊ってる。
◎「クレーマー」。毎日ワンカップを必ず買っていくのだが、その時なにかしら言いがかりをつける、もしくは説教をはじめる。 なんでも昔近所のコンビニのオーナーだったらしい。もちろんその店は、いまは潰れて跡形もない。
◎「横綱」。その通り。だけど「すいませーん、横綱がこれパックで買いたいそうなんですけどー」って、叫んだバイト君のせいでこなくなった。
◎「イーデス・ハンソン」。どんな弁当でも絶対温めない客。「温めますか?」「いいです。」・・・わかってんだけど、聞かないわけにもいかず・・・
◎「ドラゴンアッシュ」。見るからにドラゴンアッシュを真似た格好をした二人組。 店の駐車場に、持参のラジカセを置き、ヒップホップをかけて(勿論ドラゴンアッシュ)躍りの練習を始める(実話)。よ!よ!と非常にうるさい&営業妨害なので、辞めていただきたい。
◎「一円おじさん」。毎日ジュースを買いに来る。120円のお買い上げで必ず、百円玉、五円玉と、10枚以上の一円玉でのお支払い。数えるのが大変。ある日、一円足りなくて「とってくるわ」と言い、20分戻ってこなかった。
◎「素人娘」。ほぼ毎日、お昼のお弁当と一緒にエロ本買ってくおっさん。 最近は、「お弁当+飲み物」と「エロ本+ティッシュ」の組み合わせで、別会計していきます。素人娘データと男の夜遊びなんとかってのがお気に入りのよう。時々、女の人向けのえっち本kireiとかも買っていきます。
◎「平成玉おやじ」。製造年が昭和の硬貨を「これ昭和のお金なんで平成のお金に替えてください」と言って来る。最初は相手にしていたが、だるくなって断っていたら来なくなった。
◎「スキップ」。店内でスキップして、こけた女性。普段は普通できれいな人なんだけどね。
◎「10万円くん」。週に3〜4回くらい毎度3000円くらい買っていく小学生デブ男子。いつも1万円札でお支払い。サイフに福沢諭吉が10枚くらい入ってるウチの店のカモ・・・じゃなくてお客サマです。
◎「対人恐怖症」。夜中でもサングラスをして人間を警戒している。店員が笑ってると「今笑っただろ!おれがそんなにおかしいか?!」とキレる。
◎「ティッシュマン」。毎晩、ボックスティッシュ4箱と、トイレットペーパーを買ってく30代のリーマン。こいつ、毎日、大量のティッシュを何に使ってるんだ?
◎「領収オヤジ」。領収書を必ず下さいと言うオヤジ。80円おむすび2つでも領収書と言う。何が目的で毎日領収書を貰うのかは謎。 領収書は財布に溜まっては、いつの間にか減って増えて(エンドレス)。
◎「モーヲタ野郎」。店内ポスターでモー娘。があると必ず下さいと言う。ムースポッキーのPOPとグリコキャンペーンのPOPも狙っている様子。現に終わったら下さいと言われた。 ただ、3ヶ月に1度ぐらいしか買い物しないので、POPは捨てる予定。
20030831
「星を継ぐもの」一昨日読了。<※これ以降ネタバレ注意!>びっくりするような展開と聞いていたので期待してたけど、まあまあ想像どおりというか、わたしの想像してた展開の方がすごかったぞ(そういう主旨の本でもない)。チャーリーたちルナリアンは地球人だった!ってのは想像どおりで、わたしの予想では、チャーリーはわれわれ人類の子孫(西暦3000年ごろの人間)で、タイムマシンかなんか発明して5万年前に降り立ったというのかと思ってた。いや、その目的はわかんないし、理論上可能なのか知らないけども、そこは物理学的記述とか航空宇宙学的記述はほとんど流して読んでたレベルなんで、まあね。SFはブラッドベリ、アシモフ数冊程度しか読んでなくて、ブラッドベリは萩尾望都を読んでから読んだ人なので、例えば「びっくり箱」なんてのは腰抜かしそうな展開で、やっぱり本は、ジャンルは抜きにしてロアルド・ダールみたいな誰も思いつかないような奇想天外なのが好きだなあと思いました(どういう感想だ)。
土曜日の朝の番組で宅間と拘置所で隣りあわせ(正確には隣りの隣りだがひとつ空けて拘置されるらしいので、隣りみたいなもの)だった人がインタビューされていて、それによると死刑確実とされていた人が裁判終了後に「無期だった!」と言って帰ってきたときにその人と宅間で「よかったなー」と言いあったとか、死ぬのは怖くないと言っていたのにどこで執行されるか頻りに聞いていたとか、いい人風エピソードばかり言っていて、それはそれでなんだかなあで、マスコミは自分の意図のとおりに言わせたり編集したりしているわけで、報道されてることだけでどうこう書いてても仕方ない気がしました。宅間も「報道はウソばっかりや。(下見をしていたと報道されていたことについても)たまたまや」と言ってたらしいし。(って、それも報道されたネタじゃ……)あ、印象的な言葉として、裁判所に被害者の子供の遺影を持ってくる親の話をしていて「写真なんか見れるわけないやんか、見たらおれが消滅してしまう」と言ったらしく、なんだか詩的な表現だと思いました。って、どうも好意的かなあ、わたし。違うんだけど。
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土曜日の朝の番組で宅間と拘置所で隣りあわせ(正確には隣りの隣りだがひとつ空けて拘置されるらしいので、隣りみたいなもの)だった人がインタビューされていて、それによると死刑確実とされていた人が裁判終了後に「無期だった!」と言って帰ってきたときにその人と宅間で「よかったなー」と言いあったとか、死ぬのは怖くないと言っていたのにどこで執行されるか頻りに聞いていたとか、いい人風エピソードばかり言っていて、それはそれでなんだかなあで、マスコミは自分の意図のとおりに言わせたり編集したりしているわけで、報道されてることだけでどうこう書いてても仕方ない気がしました。宅間も「報道はウソばっかりや。(下見をしていたと報道されていたことについても)たまたまや」と言ってたらしいし。(って、それも報道されたネタじゃ……)あ、印象的な言葉として、裁判所に被害者の子供の遺影を持ってくる親の話をしていて「写真なんか見れるわけないやんか、見たらおれが消滅してしまう」と言ったらしく、なんだか詩的な表現だと思いました。って、どうも好意的かなあ、わたし。違うんだけど。
20030829
二枚目嫌いでゆうめいな(?)わたしですが、最近妻夫木聡を認識した。なんか好印象。でもそれって実は好印象の友達の男子に似てると思ったからかもしれない。普通にしてるときと笑った顔のギャップと笑い顔自体がそっくりだと思った。でもたぶん「どこが〜?」と言われると思う。わたしが確信をもって似てると思う場合は大抵、当人にも周囲の人にも理解されない。でも、今度一応言ってみよう。あと、妻夫木さんは「あ、知ってました?妻夫木夫妻って書いたら、上から読んでも下から読んでも一緒なんですよ、高校の時に気づいたんですけど」とか言ってて、さらに好印象だった。ちょっと萌え。
長くなるけどこれは書いとこうと思ったんだ。大阪池田小学校児童殺傷事件の犯人、宅間守死刑囚ですけども、彼はちょっとすごいと思う。
もちろん、殺人はまずいし被害者も気の毒だと思うが、でも、敢えて宅間の恐るべきラディカルぶりに焦点を当てて書こうと思う(宅間を心底憎んでいる方は、不快になると思うので読まないことをお勧めします)。
*昨日、死刑宣告されるという日に「最後にちょっと言わせてえな」「どうせ死刑になるんやったら言わせてくれ。たったメモ三枚や」などと言って公判開始2分でつまみ出されたらしいが、動揺したり命乞いをするのではなく、そんなときなのに理に適った提案をしていて、且つ最期に言いたいことをメモ三枚に簡潔にまとめるなんてある種の才能だと思う。普通はできない。
<メモ>発言する機会は今までもあったしそのときには違うことを言いもしたし判決公判に被告の発言は認められてないかも知れないけど、これから死刑宣告される人に対して四角四面に「発言は認めません」と言って外に連れだすのは、どうかと思う。彼の振る舞いは社会のルール(法律)では認られない酔狂かも知れないけど、そんなこと言ったら死刑だって酔狂かもしれなく、少なくとももっと議論を尽くすべきことなのに今の法律で許されているから遂行する裁判官や国は狂ってないのかと問いたい。宅間はそういう表面的なルールとか常識とか本質的でないものと相容れなかった人で、最期まで象徴的な場面だったと思う。
*基本的に、被害者の親に謝ったのは初公判の「生命をもって償いたい」と言った一回だけで、その後発言を撤回。一転して「(謝罪の気持ちは)ない」「幼稚園ならもっと殺せたと今でも思ってしまう」と言い続けているが、これは弁護士などに「たぶん死刑になる」と聞き、命乞いはやめようと思ったのだと思う。その姿勢自体は少なくとも正しい。
<メモ>こういう発言を「遺族の感情を無視した」とか「遺族の願いかなわず」とか書くのは不思議だ。遺族や関係者は嘘でもいいから謝って欲しいのだろうか。子供を殺された揚げ句に嘘を聞かされたら、それこそコケにされたも同然だ。宅間の発言は彼なりに誠実だし、宅間の事実を知らなければ事件を理解したことにならないと思う。そして、自分が宅間だったときに、命乞いをしない勇気があるか考えてしまう。
*「死ぬことは全くびびってません」「しょうもない人生やったら、今回のパターンの方が良かったのかも知れない」この死生観。決して虚勢ではありません(たぶん)。すごすぎます。そして「今回」と言っているのに注目。輪廻転生するつもりなのだろうか。
<メモ>同様の発言として「自分の人生を切り開こうとしたが、どつぼにはまり、転落の一途を辿った」というのがある。まるで他人の人生というか人生ゲームを振り返るかのような発言だ。いわゆる虚無なのだろうが、ひきこもるわけではなくとりあえず死ぬまでに(自殺もよく考えていたようだ)それなりの達成感を感じたいというあがきは方法の是非は別として、理解できなくはない。だいたいが刃物で15人も殺傷するなんて、銃乱射よりずっとエネルギーが必要とされる方法なわけで、さぞかし本人は達成感があるだろう。もちろん、殺されるほうはたまらないが。
他にも彼という人を物語る発言として、拘置所で弁護士に「とりあえず金を送って下さい。しゃばでもそうでしょうが、ここでも金がものを言います。金さえあれば菓子パンも買えるし、いろいろずいぶん違います」のような手紙を渡したと新聞に出ていたことがあった。この即物的思考は瞠目に値する。これを単なるバカと片付けるのは簡単だが、そうではなく、これから死刑になるとしても、とりあえず目の前の日々の菓子パンに執着する、人間の説明のつかない生命力に思いを馳せずにはおれない。
事件自体に話を移せば、そんな宅間にとって、受験を希望したこともある池田小学校の児童やその親が、理想を体現してぬくぬくと慢心しきった存在に見えたのだろう。もちろん他人の芝生は青く見えるだけなんだが。「家庭が安定し、恵まれ、勉強もできた人間でも、展望のない腐りきった自分のようなおっさんに、たかだか5〜6秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さをわからせてやりたかった」という発言は「わからせてやりたかった」がポイントだ。裁判官の言うように「小学生ならばたやすく大勢を殺害できると思い至った」ということもあるだろうが(「幼稚園ならもっと殺せた」発言もあるわけだし)、むしろ大人として予定調和ではないこの世の破綻(それを「不条理」と彼は表現している)を子供(とその親と社会)に教えるつもりもあったのではないかとも思う。
といったわけで、いろいろと事件のアウトラインは見えてくるわけだが、顔を隠して「やっと判決が出たよ、と子供に報告できる」と記者会見する被害者の親とか、宅間の発言が不愉快だから公判に出ることを拒む遺族とか、「悪い人は死刑になるんだよと教えたい」と言った池田小学校の教師や「『子供たちに不条理をわからせたかった』などと遺族感情を逆なでする発言を繰り返すだけで」と書く朝日新聞などは、表面的な世界に首まで漬かっている間は、宅間を理解することもできないし、ひいては殺された理由も理解できないままなんだろうと思う。
唯一、顔を出して「宅間を理解しようと全公判を傍聴している」と言っていた遺族は、すごくまともだと思った。
刑はいつ執行されるんだろう。
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長くなるけどこれは書いとこうと思ったんだ。大阪池田小学校児童殺傷事件の犯人、宅間守死刑囚ですけども、彼はちょっとすごいと思う。
もちろん、殺人はまずいし被害者も気の毒だと思うが、でも、敢えて宅間の恐るべきラディカルぶりに焦点を当てて書こうと思う(宅間を心底憎んでいる方は、不快になると思うので読まないことをお勧めします)。
*昨日、死刑宣告されるという日に「最後にちょっと言わせてえな」「どうせ死刑になるんやったら言わせてくれ。たったメモ三枚や」などと言って公判開始2分でつまみ出されたらしいが、動揺したり命乞いをするのではなく、そんなときなのに理に適った提案をしていて、且つ最期に言いたいことをメモ三枚に簡潔にまとめるなんてある種の才能だと思う。普通はできない。
<メモ>発言する機会は今までもあったしそのときには違うことを言いもしたし判決公判に被告の発言は認められてないかも知れないけど、これから死刑宣告される人に対して四角四面に「発言は認めません」と言って外に連れだすのは、どうかと思う。彼の振る舞いは社会のルール(法律)では認られない酔狂かも知れないけど、そんなこと言ったら死刑だって酔狂かもしれなく、少なくとももっと議論を尽くすべきことなのに今の法律で許されているから遂行する裁判官や国は狂ってないのかと問いたい。宅間はそういう表面的なルールとか常識とか本質的でないものと相容れなかった人で、最期まで象徴的な場面だったと思う。
*基本的に、被害者の親に謝ったのは初公判の「生命をもって償いたい」と言った一回だけで、その後発言を撤回。一転して「(謝罪の気持ちは)ない」「幼稚園ならもっと殺せたと今でも思ってしまう」と言い続けているが、これは弁護士などに「たぶん死刑になる」と聞き、命乞いはやめようと思ったのだと思う。その姿勢自体は少なくとも正しい。
<メモ>こういう発言を「遺族の感情を無視した」とか「遺族の願いかなわず」とか書くのは不思議だ。遺族や関係者は嘘でもいいから謝って欲しいのだろうか。子供を殺された揚げ句に嘘を聞かされたら、それこそコケにされたも同然だ。宅間の発言は彼なりに誠実だし、宅間の事実を知らなければ事件を理解したことにならないと思う。そして、自分が宅間だったときに、命乞いをしない勇気があるか考えてしまう。
*「死ぬことは全くびびってません」「しょうもない人生やったら、今回のパターンの方が良かったのかも知れない」この死生観。決して虚勢ではありません(たぶん)。すごすぎます。そして「今回」と言っているのに注目。輪廻転生するつもりなのだろうか。
<メモ>同様の発言として「自分の人生を切り開こうとしたが、どつぼにはまり、転落の一途を辿った」というのがある。まるで他人の人生というか人生ゲームを振り返るかのような発言だ。いわゆる虚無なのだろうが、ひきこもるわけではなくとりあえず死ぬまでに(自殺もよく考えていたようだ)それなりの達成感を感じたいというあがきは方法の是非は別として、理解できなくはない。だいたいが刃物で15人も殺傷するなんて、銃乱射よりずっとエネルギーが必要とされる方法なわけで、さぞかし本人は達成感があるだろう。もちろん、殺されるほうはたまらないが。
他にも彼という人を物語る発言として、拘置所で弁護士に「とりあえず金を送って下さい。しゃばでもそうでしょうが、ここでも金がものを言います。金さえあれば菓子パンも買えるし、いろいろずいぶん違います」のような手紙を渡したと新聞に出ていたことがあった。この即物的思考は瞠目に値する。これを単なるバカと片付けるのは簡単だが、そうではなく、これから死刑になるとしても、とりあえず目の前の日々の菓子パンに執着する、人間の説明のつかない生命力に思いを馳せずにはおれない。
事件自体に話を移せば、そんな宅間にとって、受験を希望したこともある池田小学校の児童やその親が、理想を体現してぬくぬくと慢心しきった存在に見えたのだろう。もちろん他人の芝生は青く見えるだけなんだが。「家庭が安定し、恵まれ、勉強もできた人間でも、展望のない腐りきった自分のようなおっさんに、たかだか5〜6秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さをわからせてやりたかった」という発言は「わからせてやりたかった」がポイントだ。裁判官の言うように「小学生ならばたやすく大勢を殺害できると思い至った」ということもあるだろうが(「幼稚園ならもっと殺せた」発言もあるわけだし)、むしろ大人として予定調和ではないこの世の破綻(それを「不条理」と彼は表現している)を子供(とその親と社会)に教えるつもりもあったのではないかとも思う。
といったわけで、いろいろと事件のアウトラインは見えてくるわけだが、顔を隠して「やっと判決が出たよ、と子供に報告できる」と記者会見する被害者の親とか、宅間の発言が不愉快だから公判に出ることを拒む遺族とか、「悪い人は死刑になるんだよと教えたい」と言った池田小学校の教師や「『子供たちに不条理をわからせたかった』などと遺族感情を逆なでする発言を繰り返すだけで」と書く朝日新聞などは、表面的な世界に首まで漬かっている間は、宅間を理解することもできないし、ひいては殺された理由も理解できないままなんだろうと思う。
唯一、顔を出して「宅間を理解しようと全公判を傍聴している」と言っていた遺族は、すごくまともだと思った。
刑はいつ執行されるんだろう。
20030825
最近、物覚えが悪くなって困っている。
いや、正確に言うと、最近物覚えの悪い自分に直面する場面が多くて、呆れている。
ここで、21世紀に大都市東京に住む33歳のいい大人として、多分できなきゃいけないと思われるができないことを列記してみよう。
・地図や文字を頼りにたどり着けない
ここでいう地図とは、いわゆるお店の行き方マップみたいなものから本格的な道路地図までをさす。
まず、右に左に回して見ても現在地がわからない。
地図に道路名が書かれていても現場に必ずしも表記してあるとは限らないので、それもわからない。
「この先○○m」の距離の感覚がつかめない。
「二つ目の角を右」と言われた際に、ちょっとしたへっこみや私道を角とカウントするのかわからない。
揚げ句に一瞬左右がわからなくなって逆に曲がったりする。
わたしがたどり着ける唯一の方法は、看板と視覚的な目印(「黄色い家」「小泉のポスター」など)である。
それらが変更されていたら保障の限りではない。
・日本地図の県名が言えない
これはうっすらわかってたけど、最近白地図を見て改めてわからないことにショックを受けた。
わかるのは、北海道と青森と千葉と東京と沖縄だけだ。
なぜか兵庫、岡山、鳥取、京都がわかるのは、地図を覚えたころに兵庫県在住だったからか。
あ、あと琵琶湖が描いてあったら滋賀県はわかるよ。
・東京23区を全部言えない
1、2個忘れるというのはよくある話だけど、4、5個言えない。
普通の大人はそういう場合に山手線の駅を思い浮べて考えるそうだが、当然知らない。
(ちなみに毎日、山手線で通っている)
・カタカナ語を覚えられない
海外小説の人名とか、商品名、外来語など、覚えてても間違ってたりする。
読んでるときは多分、流してるらしい。
・ガイジンの顔を覚えられない
これとカタカナ語は最近のことで、いよいよ老人かと慌てた。
『ゴッド・ファーザー』を観ていて、デ・ニーロとアル・パチーノの区別がつかなくなった。
あと、金髪の人はふたりがゴッチャになってた。
・人名を覚えられない
毎日数名づつ新しい人が登場して会わなくなって、また1ヵ月後くらいに再登場するような場合が頻繁にあるので、最近痛感している。
この2か月で30人は顔と名前がやっと一致した。
・説明書の類が理解できない
電化製品からPC関連(ハード、ソフト、htmlなど)まで、単語がわからないとすぐいやになるのでいつまでもわからない。
一生読まないで済ませたい。
けど、そんなわたしが今、ウィンドウズをはじめ3つの新しいソフトに挑戦して(させられて)いる。
できたら奇跡だ。
・昨日のことも覚えていない
特に服とかごはんは思い出すのにかなり時間がかかる。
なので昨日自分が言ったことなどめったに覚えていない。
要するに、時間軸と座標軸という根本をハナから掴んどらんわけで、普通に生活して仕事してるのが不思議なくらいの五次元野郎、というわけだ。
じゃあ逆にわたしの脳のメモリーを食っている情報は何かと考えてみるに。
・人が言った印象的なこと
自分に対して、あるいは他の事物に対して言った、その人をまさに表わしていると思われる言葉、しぐさ、表情などはすごく記憶している。
・本や映画の中の気に入ったフレーズ
どうやら、本を読んでいて気に入った(もしくはショックを受けた)フレーズがあると、無意識に何度も何度も読み返しているらしく、覚えてしまう。
あるいは、意識的に覚えようと努力することすらある。
・好きな歌の歌詞
これは、好きで何度も聞いているうちに覚えるというのもあるし、ひとりで特訓することもあるが、歌詞が日本語だろうが英語だろうがフランス語だろうがポルトガル語だろうがヒンズー語だろうが覚える。
そして歌う。
もちろんバックの演奏なんかなくても平気。
・過去の印象的なできごとを思いだす
いい思い出も嫌な思い出も、印象に残っているものに関してはよく思いだして、暗くなったりニヤニヤしたりしている。
気が付くとそうしているので、特に理由はない。
つまり、現実なんてどーでもいいってことか?……って、そういうわけでもないんだけど。
ただ、現実は生っぽすぎるというのはある。
なるべく時間のフィルターをかけておぼろげにしておかないと、ショックが大きすぎる。
で、今日も「これ、前にも言ったよね?」とか「さっき言ったばっかりじゃん」とか言われるのさ。
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いや、正確に言うと、最近物覚えの悪い自分に直面する場面が多くて、呆れている。
ここで、21世紀に大都市東京に住む33歳のいい大人として、多分できなきゃいけないと思われるができないことを列記してみよう。
・地図や文字を頼りにたどり着けない
ここでいう地図とは、いわゆるお店の行き方マップみたいなものから本格的な道路地図までをさす。
まず、右に左に回して見ても現在地がわからない。
地図に道路名が書かれていても現場に必ずしも表記してあるとは限らないので、それもわからない。
「この先○○m」の距離の感覚がつかめない。
「二つ目の角を右」と言われた際に、ちょっとしたへっこみや私道を角とカウントするのかわからない。
揚げ句に一瞬左右がわからなくなって逆に曲がったりする。
わたしがたどり着ける唯一の方法は、看板と視覚的な目印(「黄色い家」「小泉のポスター」など)である。
それらが変更されていたら保障の限りではない。
・日本地図の県名が言えない
これはうっすらわかってたけど、最近白地図を見て改めてわからないことにショックを受けた。
わかるのは、北海道と青森と千葉と東京と沖縄だけだ。
なぜか兵庫、岡山、鳥取、京都がわかるのは、地図を覚えたころに兵庫県在住だったからか。
あ、あと琵琶湖が描いてあったら滋賀県はわかるよ。
・東京23区を全部言えない
1、2個忘れるというのはよくある話だけど、4、5個言えない。
普通の大人はそういう場合に山手線の駅を思い浮べて考えるそうだが、当然知らない。
(ちなみに毎日、山手線で通っている)
・カタカナ語を覚えられない
海外小説の人名とか、商品名、外来語など、覚えてても間違ってたりする。
読んでるときは多分、流してるらしい。
・ガイジンの顔を覚えられない
これとカタカナ語は最近のことで、いよいよ老人かと慌てた。
『ゴッド・ファーザー』を観ていて、デ・ニーロとアル・パチーノの区別がつかなくなった。
あと、金髪の人はふたりがゴッチャになってた。
・人名を覚えられない
毎日数名づつ新しい人が登場して会わなくなって、また1ヵ月後くらいに再登場するような場合が頻繁にあるので、最近痛感している。
この2か月で30人は顔と名前がやっと一致した。
・説明書の類が理解できない
電化製品からPC関連(ハード、ソフト、htmlなど)まで、単語がわからないとすぐいやになるのでいつまでもわからない。
一生読まないで済ませたい。
けど、そんなわたしが今、ウィンドウズをはじめ3つの新しいソフトに挑戦して(させられて)いる。
できたら奇跡だ。
・昨日のことも覚えていない
特に服とかごはんは思い出すのにかなり時間がかかる。
なので昨日自分が言ったことなどめったに覚えていない。
要するに、時間軸と座標軸という根本をハナから掴んどらんわけで、普通に生活して仕事してるのが不思議なくらいの五次元野郎、というわけだ。
じゃあ逆にわたしの脳のメモリーを食っている情報は何かと考えてみるに。
・人が言った印象的なこと
自分に対して、あるいは他の事物に対して言った、その人をまさに表わしていると思われる言葉、しぐさ、表情などはすごく記憶している。
・本や映画の中の気に入ったフレーズ
どうやら、本を読んでいて気に入った(もしくはショックを受けた)フレーズがあると、無意識に何度も何度も読み返しているらしく、覚えてしまう。
あるいは、意識的に覚えようと努力することすらある。
・好きな歌の歌詞
これは、好きで何度も聞いているうちに覚えるというのもあるし、ひとりで特訓することもあるが、歌詞が日本語だろうが英語だろうがフランス語だろうがポルトガル語だろうがヒンズー語だろうが覚える。
そして歌う。
もちろんバックの演奏なんかなくても平気。
・過去の印象的なできごとを思いだす
いい思い出も嫌な思い出も、印象に残っているものに関してはよく思いだして、暗くなったりニヤニヤしたりしている。
気が付くとそうしているので、特に理由はない。
つまり、現実なんてどーでもいいってことか?……って、そういうわけでもないんだけど。
ただ、現実は生っぽすぎるというのはある。
なるべく時間のフィルターをかけておぼろげにしておかないと、ショックが大きすぎる。
で、今日も「これ、前にも言ったよね?」とか「さっき言ったばっかりじゃん」とか言われるのさ。
20030824
昨日は、待ちに待った『浴衣で神楽坂の会』(勝手に命名)。
以前から着付けを頼んでいた友人が前日の夜中に急遽キャンセルなどドタバタとありつつも、少し遅れて到着。
駆けつけたみなさまのまあまあ艶やかだったこと!
まどかさんの紺地に白百合を染め抜いた浴衣に黄色のトンボ帯はクラシカルな佇まい(髪には椿油!)、着物先輩の菜穂ちゃんは落ち着いた色のおきゃんないちご柄浴衣に金子國義の王冠の帯でシックなロリ、花さんは紺地に白水玉の町娘風が神楽坂にもしっくりあって着物生活者のようだったし、カナさんはアナ・スイの下駄のトルコブルーの鼻緒に合わせたという、同じくトルコブルーと赤のアブストラクトが白地に映える(本当は何の柄だったのかな)浴衣に黄の帯が素敵だった。
かくいうわたしは、グレー地に、白とブルーの縦じまの熱帯魚が泳いでいるという不思議な柄の浴衣に、白と赤のしましま帯で洋服みたいな格好。
鴨だとか、鮎の煮こごりだとか、谷中生姜などが少しづつ出て、ニッキの香りのお酒も入って、さて何の話をしていたのかと思い起こせば、やっぱり本や映画やネットの話題。
女子のそぞろ話は不思議に深遠だなあと感慨しかり。
9時にはろうけつ染めの浴衣を持って着物屋さんに行って帯を買って着付けてもらったという知能犯(!)のハルちゃんも合流してブラブラとお散歩してからお茶をした。
誰かが「あ、火星だね」と指さした先には夜空にくっきり赤いポッチ。
ああ、なんだか優雅だねえと思ったら、涙でにじんで大きく見えてきたよ。
昨日は今年の最高温度を記録したらしく、帰ったら全身汗びっしょりで、足は鼻緒の形に皮が剥けて大変なことに。
でも楽しかった、またやろうね。
そしてそして、昨日、今日と近所界隈ではお祭り真っ盛り。
歩けば当たるというほどお寺が多い町なのだけど神社は意外と少なくて、家の並びの諏方神社がここら辺りのお祭りを一手に引き受けている感じだ。
朝から子供神輿のドン、ドン、カカカ、ドンドンドン、カ、カ、という力なき太鼓の音で起こされるし、家の前の道が参道らしく、一歩出ると屋台がズラーっと並んで、大変な騒ぎ(本当に目の前の普通の細い道に屋台が並んでいる)。
こんな感じでときどき神輿が通り過ぎては一日中ピーヒャラピーヒャラやっているつもりらしい。
けど、食べ物が調達できて、便利、便利。
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以前から着付けを頼んでいた友人が前日の夜中に急遽キャンセルなどドタバタとありつつも、少し遅れて到着。
駆けつけたみなさまのまあまあ艶やかだったこと!
まどかさんの紺地に白百合を染め抜いた浴衣に黄色のトンボ帯はクラシカルな佇まい(髪には椿油!)、着物先輩の菜穂ちゃんは落ち着いた色のおきゃんないちご柄浴衣に金子國義の王冠の帯でシックなロリ、花さんは紺地に白水玉の町娘風が神楽坂にもしっくりあって着物生活者のようだったし、カナさんはアナ・スイの下駄のトルコブルーの鼻緒に合わせたという、同じくトルコブルーと赤のアブストラクトが白地に映える(本当は何の柄だったのかな)浴衣に黄の帯が素敵だった。
かくいうわたしは、グレー地に、白とブルーの縦じまの熱帯魚が泳いでいるという不思議な柄の浴衣に、白と赤のしましま帯で洋服みたいな格好。
鴨だとか、鮎の煮こごりだとか、谷中生姜などが少しづつ出て、ニッキの香りのお酒も入って、さて何の話をしていたのかと思い起こせば、やっぱり本や映画やネットの話題。
女子のそぞろ話は不思議に深遠だなあと感慨しかり。
9時にはろうけつ染めの浴衣を持って着物屋さんに行って帯を買って着付けてもらったという知能犯(!)のハルちゃんも合流してブラブラとお散歩してからお茶をした。
誰かが「あ、火星だね」と指さした先には夜空にくっきり赤いポッチ。
ああ、なんだか優雅だねえと思ったら、涙でにじんで大きく見えてきたよ。
昨日は今年の最高温度を記録したらしく、帰ったら全身汗びっしょりで、足は鼻緒の形に皮が剥けて大変なことに。
でも楽しかった、またやろうね。
そしてそして、昨日、今日と近所界隈ではお祭り真っ盛り。
歩けば当たるというほどお寺が多い町なのだけど神社は意外と少なくて、家の並びの諏方神社がここら辺りのお祭りを一手に引き受けている感じだ。
朝から子供神輿のドン、ドン、カカカ、ドンドンドン、カ、カ、という力なき太鼓の音で起こされるし、家の前の道が参道らしく、一歩出ると屋台がズラーっと並んで、大変な騒ぎ(本当に目の前の普通の細い道に屋台が並んでいる)。
こんな感じでときどき神輿が通り過ぎては一日中ピーヒャラピーヒャラやっているつもりらしい。
けど、食べ物が調達できて、便利、便利。
20030817
美容院に行くと普段読まないようなOLさん向けのファッション誌(?)を読むことになるけれど、あのテの雑誌に拒否反応する理由がようやく像を結んだ。
それは、基本的にわたしは造語が鳥肌立つほど嫌い、ということのようだ。
「めちゃもてイベント服」「激マブ☆デニム」「モテ髪」「夏バテ肌髪」「最愛ニット」「通勤シンプル」など、以前は「モテ」に全力投球的なそのコンセプトが嫌いなんだと思っていたけれど、たまたま別な本で造語が出てきて「ぎゃー」と思ったので、それがダメなんだと思った。
でも、「まとめ髪」みたいなものは慣れなのか、ひっかからなくなったなあ、なんか悲しいなあ。
造語の嫌なポイントは、6つ。
1.「まとめ髪」→まとめた髪、「イベント服」→イベント向きな服、ときちんと書いても大した字数をとらないのに、横着だ。
2. 雑誌固有の言い回しを作ることによって読者と編集部との連帯感を煽ろうというのだろうが、発想が安易だ。
3. 略すためにいかに短い単語の中にインパクトを出すかが勝負になり「最愛」だの「めちゃ」だの大仰な言い回しの羅列になり、情報自体にうさんくささを感じる。
4. 言語センスが悪い。
5. 言葉を略すことによって主語がボケている。「モテ髪」はモテそうな髪型なのか、モテたい人がする髪型なのかよくわからないし、「最愛ニット」は読者が最愛しているのか、編集部が最愛しているのかわからない。
わからないのに使い続けることによって、既成事実化しようとしている。
これは瑣末な問題に見えるかも知れないが、雑誌の立ち位置を顕在化させないという非常に大きな問題だ。
海外の雑誌を引き合いに出すのは欧米中心主義のようでいやだけれど、そもそも雑誌の出自がそうなのだから仕方ない、少なくとも彼らの一部は編集部がお勧めするのか、読者が選んだのか(その場合はデータ開示)を明文化する編集をしている。
それが例えクライアントとの癒着や下手すりゃ完全なフィクションだったとしても、少なくとも読者と誠実な関係を結ぼうという意志は感じるではないか?
造語というのはもともと独り善がりなものなので、著者と読者がセンスを共有できないとマッハの勢いでひいてしまう。
だから個人が書いた本なら、合う合わないでいいのだが、雑誌の場合は相当リスキーだと思われる。
そのリスクを編集部が感じていない、またはわかっていても続けてしまう無神経さがたまらなくいやだ。
ま、そういったことのひとつの象徴という気がして造語は本でも雑誌でもあまり好きじゃない、という話。
※但し、新しい人種を取り上げるために敢えて造語を用いるのはこの限りではない。
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それは、基本的にわたしは造語が鳥肌立つほど嫌い、ということのようだ。
「めちゃもてイベント服」「激マブ☆デニム」「モテ髪」「夏バテ肌髪」「最愛ニット」「通勤シンプル」など、以前は「モテ」に全力投球的なそのコンセプトが嫌いなんだと思っていたけれど、たまたま別な本で造語が出てきて「ぎゃー」と思ったので、それがダメなんだと思った。
でも、「まとめ髪」みたいなものは慣れなのか、ひっかからなくなったなあ、なんか悲しいなあ。
造語の嫌なポイントは、6つ。
1.「まとめ髪」→まとめた髪、「イベント服」→イベント向きな服、ときちんと書いても大した字数をとらないのに、横着だ。
2. 雑誌固有の言い回しを作ることによって読者と編集部との連帯感を煽ろうというのだろうが、発想が安易だ。
3. 略すためにいかに短い単語の中にインパクトを出すかが勝負になり「最愛」だの「めちゃ」だの大仰な言い回しの羅列になり、情報自体にうさんくささを感じる。
4. 言語センスが悪い。
5. 言葉を略すことによって主語がボケている。「モテ髪」はモテそうな髪型なのか、モテたい人がする髪型なのかよくわからないし、「最愛ニット」は読者が最愛しているのか、編集部が最愛しているのかわからない。
わからないのに使い続けることによって、既成事実化しようとしている。
これは瑣末な問題に見えるかも知れないが、雑誌の立ち位置を顕在化させないという非常に大きな問題だ。
海外の雑誌を引き合いに出すのは欧米中心主義のようでいやだけれど、そもそも雑誌の出自がそうなのだから仕方ない、少なくとも彼らの一部は編集部がお勧めするのか、読者が選んだのか(その場合はデータ開示)を明文化する編集をしている。
それが例えクライアントとの癒着や下手すりゃ完全なフィクションだったとしても、少なくとも読者と誠実な関係を結ぼうという意志は感じるではないか?
造語というのはもともと独り善がりなものなので、著者と読者がセンスを共有できないとマッハの勢いでひいてしまう。
だから個人が書いた本なら、合う合わないでいいのだが、雑誌の場合は相当リスキーだと思われる。
そのリスクを編集部が感じていない、またはわかっていても続けてしまう無神経さがたまらなくいやだ。
ま、そういったことのひとつの象徴という気がして造語は本でも雑誌でもあまり好きじゃない、という話。
※但し、新しい人種を取り上げるために敢えて造語を用いるのはこの限りではない。
20030813
先日、小学校からの友達が近所に住んでいることが判明し、遊びに来ることに。
すわ、大掃除&整理整頓!と毎度お馴染みお掃除パニックになった。
わたしは普段『何もやらない大王』の名を欲しいままにしている大いなる怠け者で、埃や汚れを見つけても見なければないも同然、とばかりに無視して平気でいる。
そして、たまに片付けたり掃除すると(それも自分の部屋など)大仰に騒ぎ立てるていたらく。
わたしと同居する羽目になったら、自然「たまには片付けてよ」「ちょっと掃除機かけてよ」「これいつになったらしまうの」と言い続けることになる。
言われたわたしは、適当に物を右から左に動かすか、無視するか、逆ギレするかで、言うほうもかなりリスキー、結局は自分でやったほうがまし、という理不尽な状態に陥る。
しかし、そんなわたしにも大掃除&整理整頓を徹底的にする場面がある。
それは、人に言われたからとか大晦日だからなどという外的理由ではなく、自分で思い立ったとき、大抵は人が来るとき、なのである。
というわけで、本日は「みえっ張りだなあ」という呆れ声を背なに受けながら、洗濯物をたたんでしまって物干しを収納し、冬から出しっぱなしだったガスファンヒーターを拭いて地下の倉庫にしまい、掃除機をかけ、クリーニングから戻ってきた冬物衣類をしまい、クローゼットを整理し、本棚を片付け、請求書や受領書の類をまとめてしまい、居間の鏡を磨き、25枚連奏のCDデッキの中身を来客に合わせて選定&セットし、飲物を作って、氷を用意した。
全身汗みずくになりながらも、しばし満足感に酔いしれる。
けど普段やらない人がやると、ゴミ箱にゴミが入っているのがOKかどうかもわからなくなるのが盲点。
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すわ、大掃除&整理整頓!と毎度お馴染みお掃除パニックになった。
わたしは普段『何もやらない大王』の名を欲しいままにしている大いなる怠け者で、埃や汚れを見つけても見なければないも同然、とばかりに無視して平気でいる。
そして、たまに片付けたり掃除すると(それも自分の部屋など)大仰に騒ぎ立てるていたらく。
わたしと同居する羽目になったら、自然「たまには片付けてよ」「ちょっと掃除機かけてよ」「これいつになったらしまうの」と言い続けることになる。
言われたわたしは、適当に物を右から左に動かすか、無視するか、逆ギレするかで、言うほうもかなりリスキー、結局は自分でやったほうがまし、という理不尽な状態に陥る。
しかし、そんなわたしにも大掃除&整理整頓を徹底的にする場面がある。
それは、人に言われたからとか大晦日だからなどという外的理由ではなく、自分で思い立ったとき、大抵は人が来るとき、なのである。
というわけで、本日は「みえっ張りだなあ」という呆れ声を背なに受けながら、洗濯物をたたんでしまって物干しを収納し、冬から出しっぱなしだったガスファンヒーターを拭いて地下の倉庫にしまい、掃除機をかけ、クリーニングから戻ってきた冬物衣類をしまい、クローゼットを整理し、本棚を片付け、請求書や受領書の類をまとめてしまい、居間の鏡を磨き、25枚連奏のCDデッキの中身を来客に合わせて選定&セットし、飲物を作って、氷を用意した。
全身汗みずくになりながらも、しばし満足感に酔いしれる。
けど普段やらない人がやると、ゴミ箱にゴミが入っているのがOKかどうかもわからなくなるのが盲点。
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