20101007

『明治密偵史』という本を読んでいる。
これは宮武外骨が1926(大正15)年に出した同名本をまるまる再録して81年に出版したものだ。
俗に「犬」とよばれる密偵(スパイ)の、明治前後(戊辰戦争、西南戦争、明治政府樹立後のいざこざなど)のエピソードをふんだんに盛り込んだ本で、「犬」の語源(織田信長が側小姓の前田犬千代をスパイとして今切の浜—当時の浜名湖は海に続いていてマカオから堺を経由した鉄砲などが輸入されていた—に番所の雑役として潜入させたことに由来し、忠義を尽くした高級密偵への賛辞だった)や、民間にいた私探偵の話、「犬を釣る方法」など、今では伺い知ることのできない逸話がたっぷり挿入されている。
「雨花先生曰く『密偵として化の皮を剥がれた者は真の密偵ではない。何人にも発見されない者でなくば其使命を全くすることは出来ない、そして其露顕しない明治政府の密偵は無数にあった、勅任官中にも多くの犬が居たのである』と、其隠れたる密偵の事は知るに由なしである故間抜けの為めに露顕した犬の物語と犬の評論を集めたのが本書の正編である」という「上編」や、「明治専制政府の犬使いたる主な連中は、岩倉具視、大久保利道、大木喬任、山縣有朋、山田顕義等である、この中で岩倉具視は凶徒に標的とされていたので盛んに犬を使った、その為一身は無事に終わったが子孫にロクな者が一人もいないのは、その犬を使った冥罰であろうと言った者がある」という記述など、外骨らしい皮肉が随所に見られて楽しい。

これだけでもいわゆる奇書ではあるが、実はこの本、「原著 宮武外骨 八切止夫 編」とクレジットされ、巻末には編者がつけたと思われるビゴーのイラストや明治時代の写真が唐突に入っている。
それもそのはず、『旧約聖書日本史』『天皇アラブ渡来説』など独特な史観に基づく歴史本をものし、一時は売れたものの、晩年には出版社とそりが合わずに自ら出版社を起こした八切止夫の日本シェル出版から出されていたのだ!
……などと、さもわかった風に書いているが、実は八切止夫に関しては寡聞にして知らなかった。
Twitterでつぶやいたところ、反応してくれた素敵なフォロワーたちに教えられ、はじめて検索した次第。
日本シェル出版から出ている本の全容はわからないが、50冊以上あることは確実で、八切の自著だけでも年10冊前後のペースで出ていたようだ。
『上杉謙信は女性であった』『織田信長暗殺は明智光秀ではない』など、いわゆるトンデモ本的ラインナップだが、「八切史観」「八切意外史」と自称している点で自覚的であり、エンターテインメントとしての趣味本的位置づけだと考える。
八切止夫がサービス精神旺盛だったことは、どの本の巻末にも必ず入るという「無料本50冊謹贈呈」の告知を見てもわかる。
送料4980円のみで23キロダンボール一箱分の自著、定価4万5千円相当を送るという破格の申し出で、「知人や図書館へ、何口でも御下命下さい」というのだから恐れ入る(とはいえ、内容をこちらで決められないのが難点といえば難点で、まあ「八切意外福袋」みたいなものか)。
ほかにも、死後すべての著作権を放棄するなど、(現在、一部がインターネットで読める)男気あふれるエネルギーとサービス精神に於いて八切止夫は数多ある独断と偏見で綴られる歴史本著者とは一線を画すのではないだろうか。
(それはそれとして、本文の途中が空いたからっていきなり「爆裂お玉 740円」と入れるセンスも一線を画すが)

いずれにしても、奇書というものの持つロマンとファンタジーには計り知れないものがある。
それらを壮絶なスピードとエネルギーで生産するのみならず、出版社を作って好きな本だけを出すなんて、本好き垂涎の行為である。
かくいうわたしも奇書を書こうとしたことがあって、それは何を隠そう『20世紀 破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』なのである!
あとがきやインタビューでは、破天荒な女性の生き方を応援するために書いたようなことを言ったけど(それは嘘ではないけど)、あの本を書くときにイメージしたのは、青春出版のプレイブックスから出ていた『ヘンな本 禁じられた「笑い」のすべて』(野末陳平)だった。
本の詳細は省くが(気になる方は古書店で確認してください)各章扉がドアになっていて「1時間目 神経科行きのお時間」「2時間目 精神科行きのお時間」「3時間目 脳外科行きのお時間」という不謹慎極まりない章タイトルがつけられ、「ヘンな流行語」「今昔不変大学教授考現学(いまもむかしもかわらぬだいがくのせんせいのありのまま)」「流行歌で綴った戦後二十年史」など何の脈絡もないおふざけコラムが延々続くスタイルにショックを受け、本ってこんなに自由に書いてもいいんだ! わたしもこういうのやりたい! と思ってしまったものである。
その通りできたかどうかはまた別の問題だが、ともあれ、『明治密偵史』には改めて勇気をもらった。
見習って、わたしも次の本では本文の途中にいきなり「破天荒セレブ 1600円」と入れてみようっと。

追記:若狭邦男『探偵作家尋訪 八止切夫・土屋光司』(本古書通信社)によると、八切止夫の全著作数は235冊、死後シェル出版の倉庫にあった在庫は5万冊、一部は図書館や古書店に流れたが、大半は廃棄処分をしたとのこと。

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