来た、来た。
開店と同時にどこからともなく姿を現したのは、近所のさびれた商店街にある村山時計店の次男だ。
といっても、店は五十になる兄がやっていて、こいつは四十半ばでいまだ独身、家族のなかじゃ、まあほぼいないことになってる。
世間でよく見かける出来のいい兄貴と不出来な弟という組み合せで、職人気質の父親が何かと冷たくあたり、そのぶん母親が猫かわいがりするという、無頼の徒を培養するにはこれ以上望むべくもないような環境に育ったおかげで、今ではあきれるほどの巨体をゆすりながら昼夜を問わず界隈をうろつくご身分だ。
今日も今日とて時節にかまわずお決まりのスウェット上下姿で、薄いニキビ痕のついたでこぼこした頬に汗の玉を光らせている。
「よっ」
村山の挨拶に、かすかにうなずきはしたもののB-3ははかばかしい反応を示さない。
B-3って奴は言語とかアイコンタクトとかいったホモサピエンスが20万年がとこかけて研磨してきた伝達手段の必要性をはなから認めず、もしどうしてもそれらに頼らざるを得ない場面に遭遇したときは、必要最小限の言葉というよりは何らかの可聴音にて意思の疎通をはかるのがならわしらしい。
少しでも声帯を震わせたり、首を相手の方に回したりするとエネルギーを大量消費すると考えているのかもしれんが、本当のところはよくわからん。
「いいもん、買ってきた」
と、隣のパン屋『朝日堂』の茶色い紙袋を振りかざすが、村山の言う「いいもん」は、決まってあんドーナツだ。
奴なりにささやかな貢ぎ物のつもりらしいが、かといってB-3の好物を持ってくるでなし、結局は自分の好みが優先するとみえる。
それを合図にB-3がレジ横にある真っ赤なポータブルテレビを点けると、どっと笑い声が響いて、ニュースの前の中途半端なバラエティが始まった。
ひび割れの走るコンクリートのたたきに、咀嚼音とテレビの笑い声が響く。
二人が競うように水も飲まずに十個入りのあんドーナツをもくもくと食べてる姿はオットセイのえさの時間を思わせる。
一瞬、誰かが青いバケツから投げてやったのかと見まごうほどだ。
食べ終わると、村山は砂糖のついた指がカウンターに触らないよう両手の平の下の方だけをついて腰をひき、力一杯押すような姿勢をとりながら、かかとだけで立って、テレビとB-3を落ち着きなく交互に見やる。
B-3が画面から目を離してこちらを向く機会を捉えようと心待ちにしているわけだが、そんな恩寵にはいつまで待っても授かれないと悟ると、おもむろに腿の辺りに指をこすりつけ、
「よし」
と小声で意味不明な掛け声をかけて、店内をのっそりのっそり歩き始めた。
まず、入って右側の棚に並べられた、それこそ何百回も見ているはずの「絶倫パワー ブラック コンドーム STRONG イボ付き」を手にとる。
試みに
「これ、新しんじゃん?」
と、レジに向かって声をかけてみるが、B-3は微動だにしない。
ああなっちまうと、奴さんは書き割りの背景の一部みたいなもんなんだ。
村山もそれは知っていて、袋を箱に戻すと、花園の小妖精とでもいった風情で、目についた花を手折るように何かつまみ上げては仔細に検分し(その手がまた変に白くて指が長い)、光のあたり具合を調節しているのか左右にかしげ、思い入れよろしく眺め始める。
これも、奴のドロドロした血液のなかにちょびっとはあるらしい時計職人のDNAのなせる技か。
願わくば、もう少しましなものに発揮してもらいたいもんだ。
そのうち奥の雑誌コーナーにのんびりと吸い込まれるが、いやしくもここが奴の定位置で、入ったが最後、足を床にボルトで留めつけたくらいにしてたっぷり一時間ほどは出てこない。
そして、店は沈黙に入る。
ある意味じゃ、こうなってはじめて俺の一日が始まると言っていい。
俺がお喋りだって? けっこう、けっこう、俺はこうやって俺を楽しませて来たんだ。
毎日毎週同じ番組を繰り返し観るような人生で満足しているあいつらと一緒にされちゃ、たまったもんじゃない。
……まあ、とはいえ、同じような時間帯に同じような考えが灰色の脳細胞を駆け巡るのは無理からぬことだ。
例えばいつも思うんだが、「大人のおもちゃ」という店名はすこぶる面妖だ。
店名でもなんでもないということはひとまず置いておくとしても、「おもちゃ」という楽しげで無垢な響きに「大人の」などと露悪的な形容詞をつける感覚はどう控えめに見ても下卑ている。
お陰で、店の前を親子連れが通るときには、避けがたいお笑い草が何度となく繰り返される羽目になる。
つまり、親が足を早めて通り過ぎようとするのと反対に、子供は極端に歩みを遅めて、ヒラヒラの垂れ下がった奥をなんとかのぞき見ようと四苦八苦するというわけだ。
ひどいときは
「パパー、見て見て、おもちゃ屋さんだよ!」
と、何を言っても許される特権階級然としたガキが甘え声を張り上げる。
父親も父親で、なぜか大人代表で恥を着せられたような気になって、
「おまえには関係ない」
とかなんとか聞き取れないほど小さい声でつぶやいたなり、やっきになって子供の手を引っ張る。
なあに、子供はおもちゃ屋じゃないなんてことは先刻ご承知、無邪気を装ってあわよくば中を見てやろうと思っているだけだ。
こういう場合は、増長を食い止めるためにも、こちらが一点の緩みもない毅然とした態度をとらにゃいかん。
そういえば、先日の父親は瞠目に値したな。
短髪をヘアワックスで立てて黒縁メガネをかけた三十そこそこの奴で、サラリーマンの休日3点セット、ポロシャツ、短パン、サンダル履きで前の道をそぞろ歩いていたんだが、その周りを小型犬のようにまとわりついているのは、年のころは六歳くらいの小生意気そうな子供だ。
その年齢によく見られるようにサイズの大きすぎるTシャツにコットンパンツを穿いて、自らの愛らしさを誇示するがごとく大きな目をさらに見開き、キョロキョロと周囲を見渡していたんだが、そのうち、ふと看板に目をやると、
「パパー、見て見て、おもちゃ屋さんだよ」
と例によって仮借のないキィキィ声を出しやがった。
俺は、また茶番劇を観せられるのかとうんざりし、認知神経心理学的に言うところの思考のマスキングに入ろうとした(有り体に言って、店の真ん中に佇む棚を透かしてその奥に並べてある雑誌のタイトルに意識を集中した)んだが、奴は凡百の親とは違った。
すかさず
「よし、入るか。コウタはもうすぐ誕生日だったな、好きなもの選んでいいぞ」
と、率先して手をひっぱる気概を見せたわけだ。
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