20131218
何か一つのこと(例えば人物とか)を調べに図書館に通っていると、ああ、ここにあるすべての関連文献がボタン一つで集められたらどんなにいいかとつくづく思う。
それは楽をしたいということではなく、徹底したいということだ。
どんなにしつこく蔵書検索をしようとも、図書館員にリファレンスを依頼しても、たった一行だけ触れられた文献にまで辿り着くことは現状不可能だろう。
そんな、ほんの些細な言及を含むすべての文献が集ったら、どんな量になるのか、どんな予想外の資料が入ってくるのかとても興味がある。
この世の中に正解のあるものなどほとんどない。
けれども、調べものには正解がある(間違いもある)。
頭を空っぽにして調べているとき、いつも調査守(ちょうさのかみ)の視線を感じる。
調査守とはすべての資料を把握する役人で、妄想のなかの全能の存在である。
アタリをつけて新聞を見るもののいつまで経っても行き当たらないとき「あー疲れた。載っていなさそうだし、もういいかな」と止めようとするとすかさず調査守の声がする。
「あーそこでやめちゃうんだ、その二ヵ月後に記事があるのにねえ。 残念!」。
蔵書検索をしながら膨大なリストのなかに「これはさすがに関係ないか」と思う資料をはずすと「え、それに載ってるのにもったいない!」。
その(妄想の)声に導かれて取り寄せてみるとやっぱり関係なかったりするんだけど、調査守は澄まして言う、「まあ、苦労しなさいよ。そういうことの繰り返しだから」。
やられた……と思うけど、そういうものかと思う自分もいる。
予想外の資料を発見する喜びも大きな励みになるから、とりあえずは調査守に騙されておきますか。