20040303

orkut徒然なんですけども。ネットをわりと初期からやってた人は、ものすごい勢いでお友達が増えていくみたいですね。ここ7-8年の人脈が数日に集約されるかのごとく秒単位で。わたしの感想としては、お誘い受けて参加してみて、やっと「なれ合いUZEEE」の意味がわかってきたような感じです。なんというか、わたしなど現時点でのorkut内のお友達はリアル友達かはてなの方で(数人、知らんガイジンいますが)、それってorkutやる意味あるの?と思ったり。てゆうかなんでやってるんだ、自分。orkutは今inviteされないと登録できなくて、でもその中にはてなダイアリーのコミュニティがあって、ウェブ日記全般の中のはてなユーザーの中のorkutユーザーみたいな変なヒエラルキーができてる気がして、わたしは実はそれがうれしいのか、とかいろいろ考えてしまいました。かといって誰でもかれでも誘えば解決するものでもないし(そもそもやりたくない人もいるという事実がありますしね)。ともあれ、自分の日記の中でorkutの話したくてもためらってしまったり、けど自分の自意識過剰も馬鹿みたいというがんじがらめ状態ですわ。そこら辺りをうまく言い表したネットにあった文章↓

-------------引用

今は親しい人を中心に誘ってるから居心地のいい人的ネットワークをorkut内に再現できてる人が多いと思うけど、これがどんどん普及したら、嫌な奴とか昔別れた恋人とか職場で権力的に上下関係のある人とかもfriends of friendsにどんどん入ってくるわけじゃないですか。そーすると、ネット的な風通しの良さみたいなものが失われて、単純にリアルの人間関係のしがらみなんかをそのままネット上に再現し、あまつさえそれを大人数に公開することになりゃしないか、と。ネットの世界に向けては自分の趣味や活動、性的傾向を明らかにしたくても、より近しい職場の上司には知られたくない、みたいなケースとかも充分あるだろうし。あと意図的に複数の友人コミュニティを切り離して行き来してる人にとっては、自分のリアル人間関係を覗かれるのがちょっとなーとかってリスクもある気がする。多くの人間はリアル世界でも一定のペルソナを使い分けてるものだけど、friend networkを一望できるような仕組みだと、そういうペルソナの使い分け戦略が破綻しちゃったりしないか?とか。「人間関係的に近接している人間同士は相互の情報公開に対してより寛容だ」みたいなorkutの仮説的前提は面白いんだけど、それが必ずしも機能しない局面が出てきたとき、システム的にどうサポートできるかが興味深いな。

大体昔の友人も今の友人も、わざわざこんなもの使って再定義する必要もないし同窓会開く必要もない。将来知人になる人間も、変にきみの友人の○○知ってるよみたいな話がわかるとかえって面倒だ。毎日くるinvitationもうざいし。このご時世、顔写真付きで個人情報とプライマリのメールアドレスを晒している人間の気が知れない。いずれ2ch的マインドのやつらにwatchされるようにもなるぞ。そんなわけで、いちぬけ。
辞めるのもいいけど、辞めどきって難しくない?お友達がいっぱいできてから、突然「消える」というのもアレだしなあ。
そう。こういう心理的な囲い込みが起きてしまうのが危険。

漏れは色々orkutの潜在的問題点を書き散らした奴だけど、いま自分経由でfriends同士をマッチングさせてみたりもしてます。仕事関係ひとつ、恋愛関係ひとつ。いちいちメールなりで相互の了承を取らないでも、「漏れのfriendの○○ちゃんなら君のニーズにぴったりかも」みたいな説明だけしておいて相手のプロフィールをブラウズしてコンタクト取ってもらうとか、あるいは自分が両者を引き合わせたりできる点は、確かにsocial networking systemの名に恥じないものだと思った。こういうのがうまく行き、参加者の間で日常的にorkutベースのコネクション張りが行われるようになるなら、このシステムで発生しかねない各種のしがらみも合理的代償として受け入れられるかな、という気もしてきたよ。それは漏れがフリーに近い仕事をしてるゆえの感覚かもしれないけど。これまでのsocial networking systemのエージェントって通常は参加者自身だったよね。出会い系でもビジネス系でも関心空間でも、基本的には自分で色々な条件設定して、不特定多数の参加者から条件にあった相手を検索して、その見知らぬ相手に対してアクションを起こす。これってかなり心理的コストの高いアプローチだよね。その点orkutの場合は参加者のfriendがエージェントとして振る舞ってくれる可能性があるし、そのfriendの「信認の連鎖」による最低限の身元保証もされてて、見知らぬ人とnetworkingするという実践の心理的コストをある程度下げてくれる気がする。「friends of friends」と「everyone」がシステム的に区別されてることから見ても、orkutの考えるsocial networkingの基本モデルはこのへんにあるんじゃないかと思った。
http://pc2.2ch.net/test/read.cgi/esite/1077630941/

-------------引用ここまで

ふと思ったけど会社がIT関連だと、こういうシステムって会社中の人がやってそうで、それはいやですね。
追加:これは面白い!http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040301

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