20101101

 薄暗い店内に入ると、主に清浄という観点から変な迫力があったり、幼女のヌード写真を食い入るように見つめる人生の手本になりようがない大人のたむろする荒涼とした雰囲気に、さしものガキも静かになる。
 子連れの来店に気まずい表情で帰ろうとする客もいたが、父親はひるんだそぶりなど微塵も見せず、
「どうぞどうぞ、そのまま、そのまま。邪魔だてする気はないんですよ」
などと制する手腕を見せるほど。
 奴を単なる厚顔な男だとか、エゴイストだと決めつけるのは早計だ。
 それは、いわば運動会で手ブレ防止機能付きビデオカメラを構えてトラックのコーナーに待機し、遠方から駆けてくる息子がまさに目の前を横切らんとしたちょうどその瞬間に誰かに立ちふさがれた場合に、父親としてとるべき態度と同じと言えば、理解の助けになろうか。
 我が息子のかけがえのない瞬間とあらば、父親たるもの、たとえ邪魔者が棺桶に片足を突っ込んだばあさんだったとしても本能的な判断でもって満身の力を込めて押しやるのは自明の理だ。
 そこには、万難を排して目的を遂行するものの超然とした態度と、世のモラルと親としての矜持を秤にかけ、迷うことなく後者を選択する者特有の誠実さが放つ輝きがある。
 このときもそういった崇高なまでの心意気が見てとれ、俺などは、ちょっとの間、目を細めないと直視できないくらいのもんだった。
 親子はちょっぴり進歩的な父兄同伴遠足さながら店内をほっつき歩いていたが、父親が何か見つけたらしい。
 ガラスの棚を指差しながら
  「お、コウタ、これどうだ。「天まで昇れ」だって。中に入っているパールがかっこいいな。それとも、おまえが好きそうなのはこっちか、「ぷるぷる戦隊指レンジャー」。スケルトンだぞう」
 と、気をそそるように話しかけ始めた。
 が、残念ながら子供からの反応はない。
 「どうした、コウタはこういうの嫌いか」
 腰を屈め、息子の目を覗き込む父親の表情は、「ぷるぷる戦隊指レンジャー」が好みかどうか知りたいという、単純な好奇心を越えるものではないようだ。
 息子はといえば、父親がふざけているのか真面目なのか読み切れないまま、ふてくされたように下を向き、左足に体重をかけ、右足をぶらぶらと前後に振り回している。
 体のバランスをとるため商品棚に掴まっている左手は、きちんと触ると得体の知れない菌に感染するとでもいうように、子供なりの潔癖さを発揮して指の先1センチほどで用を足していた。
 その様子を見守っていた父親は、
「うん、そうなんだ。実はこれ、女の人用なんだな」
 と、あっさり話題を変えた。
「男用はこっちだ。ほら、これスイッチを入れると動くぞ、コウタ、自分で押してみるか」
 見ると、隣にある「バーチャルロボ DX 烈」を指差している。
 紫色のスケルトンの筒に透明なボールをつないだリングが2本巻き付いた、見るからに淫靡な意欲作だ。
  「………くない」
 子供は蚊の鳴くような声でつぶやくと、この予想外の危機を振り切るように思い切り首を左右に振り始めたが、ノーの意思表示というよりは突如発症したチックか何かともとれる。
「え? 何?」
「……押したくない」
「押したくない? 何で? 面白いぞ、これ。コウタ、ラジコン好きだろ?」
「……もう帰ろうよ」
 今にも泣きそうな声でつぶやくが、父親はてんで容赦しない。
「帰る? なんで。まだプレゼント決めてないだろ。あ、そうか、コウタは本が好きだもんな、本のコーナー行こう」
 しぶる息子の後ろから肩に手を置き半ば汽車ポッポ風に、光化学スモッグと見まごうほどに気の淀んだ片隅目指して押しやる。
「はい、着きました〜、本のコーナー。コウタは金髪好きか? アジア人派か?」
 子供はあられもない写真の数々に顔を真っ赤にしてうつむくばかり。
「どうした、コウタ。さっきから元気がないぞ」
 心配そうに声をかけるが、もじもじとはっきりしない息子の様子に、この辺りで父親は大人の恐さを見せてやろうという御しがたい欲求におそわれたらしい。
 だしぬけに胴間声になると、
「おい、いい加減にしろ。お前が行きたいって言うから連れてきたのに、さっきからなんだ、その態度は。いくら父さんだってカンニン袋の緒が切れるぞ。本当は俺だってお前となんか来たかないや。一人で来たいんだよ。嘉手納れおんがどんなに愛らしいかも知らん、しょんべんくさいガキに何がわかる。え? れおんタンの胸から腰にかけての張りつめた稜線がお前にわかりますかって言ってんの。わからんだろうが。だったらボソボソ言わないで、どれかお前の足りない脳ミソなりにいいと思ったものを選んで、ありがたくもらっとけ。お前みたいななあ、「大人のおもちゃ」を大人の前で口にして、してやったりなんて思うガキはたとえ実の息子でも虫酸が走るんだよ、俺は!」
 と、手心が毛ほども加わらないむき出しのアドレナリンをぶつけたわけだが、ここまで言えば、子供にも事態の深刻さが伝わったらしい。
 とにもかくにも何かを選ばなければ脱出する道はないと察知し、涙で目をくもらせながらもうろん気な視線をマガジンラックにさまよわせ始めた。
 その姿を見た父親は、一転して明るい表情に戻り、
「上の方が見えないんじゃないか、パパがだっこしてやろう」
 と子供を抱え上げ、上段に並んだ雑誌の表紙を見せてやっている。
 ややあって、息子は鼻水をすすりながら、自分と同い年くらいの全裸のフィリピン人少女が木漏れ日の下でエマニュエル夫人ばりの籐椅子に片足だけ立てて斜めに座る表紙を指した。
「これか、ようし、わかった。あれ、微妙にパンダ組の優理絵ちゃんに似てないか? ははは」
 父親は胴間声からボリュームを修正しないままの大声で笑うと、雑誌をつかんで意気揚々とレジに向かって行ったが、後ろを歩く息子は全身汗みずくで、プールの帰りか何かに見えたっけ。
 あれはわが生涯で目にした最高の美談のひとつという気がしたな。
 気がしただけかもしれんが。
 あ、お帰りですか、お疲れ。
 村山が夕飯食いに一旦家に帰って行った。
 奴さんにパワーが残っていればまた店に戻って来て、二十四時五十三分から始まる「ハロプロメンバーが皆さんの心をドキドキさせる彼女達の魅力がいっぱい」のテレビ番組『娘DOKYU!』の開始前まで居座ることになるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿