20101114

 歓喜が一通り過ぎると、さしあたって悩みのなくなった者が持つ御しがたい欲求にとらわれ始めた、すなわち俺は彼女にどのくらい大事にされるのだろうか、という。
 少し前に話題になった風呂にも入らないタイプには見えなかったものの、異様なまでに大量の荷物は何日も家に帰らずファーストフード店で朝まで過ごす生活をしているのかもしれん。
 それともこの辺りのラブホテルにでも入って男に見守られながら仕事をさせられる羽目になるのか。
 逡巡している間に、女の子の歩行からくる規則正しい揺れで、俺は少しずつ下へ下へと移動していき、テープカッターの手前で風雪にさらされ糊の面がすっかりバカになっていたセロファンテープが俺の重みに負けてあっさり剥がれ、俺は(こう言ってよければ)生まれたままの姿で雑多な荷物のなかに突進していった。
 グッチの「ラッシュ2」とダウニーの香りが混ざった淡いピンクのTシャツらしき布に図らずもくるまれた格好で、俺は夢見る雲の上の春一番の蝶といったふうに見さかいもなく陶然となったのだが、埃と湿気にまみれたまさに汚辱とでもいうべき環境に二年もいたことを思えば、俺を責める者はいないだろう。
 そのうち、ふと揺れが止まると、バッグが地面に下ろされ、右に左にかきまわされ始めた。
 どうやら彼女が道の真ん中で探し物を始めたらしい。
「ったく、なにやってんだよ、さっきおまえに渡しただろ」
 男の叱責は日常茶飯なのか、それには答えずバッグのなかの物をひとつずつ引っ張りだしては道路に置いている。
 俺の上にあったポーチ、俺の隣りにあったハンドタオル、俺の足にひっかかっていた紙袋が次々と姿を消し、俺はピンクのTシャツごと持ち上げられ歩道脇に下ろされたが、そのはずみで側溝まで転がっていき、歩道と車道の段差に落ちて止まった。
 その瞬間、側溝の鉄製のふたにひっかかったスウィッチがオンになり、俺は止める暇もあらばこそ、人目も憚らず例の巧緻な動きをやらかし始めたわけだ。
 そのうち、女の子は目的のものを探し出して、立ち去って行ったらしい。
 らしい、というのは車道側に向いていて彼らを見ることができなかったからで、びゅんびゅん走り去るタイヤがはじく小石を眺めながら、自らの回転を利用して態勢を変え、なんとかスイッチを止める手だてを見つけようと満身の力をこめて苦闘していた。

 それから二時間強。
 さしたる妙案も奇手も浮かばないまま俺は通りの片隅でただただ電池がなくなるのを待っている。
 意識が——遠のくなか、あの店にあった左方向に四度ほど傾いて掛かっている白っちゃけたピンクの掛け時計が打ち消しても打ち消してもやたらと思い浮かんできて、どうやらもう長くないことを感じている。
 不思議と、今は静かな気持ちだ。
 これが無声映画なら、俺の頭の上にしゃれた文字で「禍福はあざなえる縄のごとし」とかなんとか人生訓が出るところかもしれん。
 それもいいだろう。
 もちろん——もちろん、誰かが俺を見つけてあの店に持って行ってくれさえすれば、また——電池を入れ替えてもらって今まで通りB-3と仲良くやっていけるわけだが——ああっと——誰かが俺を持ち上げた——ぞ——願わくば——我を丁重に扱わんことを———なんだか—手が皺だらけ——なんだが——だ——れ——で——す———か?——

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