20101111

 しばらくあちこち見て歩くと、二人はおもむろに俺のいるガラスケースの前に立った。
 俺は、なんとか扉の隙間から女の子の香水を嗅ごうと思い切り深呼吸をして震えていた。
「すいません、いいっすか」
 男がB-3に声をかけると、テレビから目を上げた奴さんはしばしぽかんとして自分が何者でどこにいるかということすらも判然としていないようだったが、ややあって事態を把握し、のっそりと立ち上がって男に先導されるままにガラス棚の前にやって来た。
「この白いやつなんすけど」
 男の指はまごうかたなく俺を差している。
 恥ずかしながら打ち明けて言うと、このとき俺は永きにわたって鶴首して待った場面を前に、体にくっついている栗を持ったリスが小刻みに震えるのをどうにも禁じ得なかったのだが、幸い、棚の足がやたらと華奢なせいで全体がぐらぐら揺れて目立たなかったようだ。
 B-3は重そうな錠前に触れることなく扉を開け、俺を手に取ると、何を思ったかだしぬけに後ろのスイッチを入れて男に手渡した。
 とたんに俺は、愚直なまでの誠実さでもって今こそ自らの性能を誇示する瞬間だと奮い立ち、全体を回転させながら、先端部分のみをぐるんぐるんとくねらせ、無慈悲なピッチャーが投げる目に見えない連続暴投球を器用に避ける敏腕バッターよろしく右に左にとファジーに動いてみせた。
 それを見た女の子は失笑し(気に入った証拠だ)、カップルは目で会話すると
「じゃあこれください」
 と、俺をB-3に返した(このときも俺はまだ間断なく精力的な動きを見せていたことを付言しておく)。
「これ(と、ここで咳払い。今日一日ほとんど誰とも口をきいていないとなると当然だ)これ箱ないんで、このままでもいいですか」
「いいです」
 このとき、B-3がほとんど口をきかないのはこころもち甲高い地声のせいではないか、という考えがちらっと浮かんだこと、そしてそれすらも永遠の別れを前にした今ではすこぶる離れがたいもののように思われ、熱に浮かされた結婚式の主役が未婚の友達に感極まってつぶやく「幸せになるから、あなたも幸せになってね」のような、一種の宗教的衝動に駆られたことを告白しておく。
 一行は、B-3を先頭に意気軒昂な小さな鼓笛隊よろしくレジに前進すると、買い物につきまとうあれやこれやのやりとりを始めた。
 そして、ウサギの絵のついた袋に俺を直接入れ、折った口をセロファンテープで止めると、袋はB-3から男へ、男から女の子へ渡り、彼女は照れも手伝ってかシワになるほど強くつかんで、家出人もかくやと思われるほどに荷物で膨らんだショップ・バッグのなかに逆さまに突っ込んだ。
俺は体が宙に浮くよう気持ちと身のちぢむような思いになぶられるがままになっていたが、三人の手を通過する小旅行を終えて納まるべきところに納まると、二年も友情をはぐくんできたB-3とのあっけないほどの別れに一抹の寂しさが襲って来るのを避けようがなかった。
 体に気をつけろよ、村山と末永く仲良くな、いい加減本物の防犯カメラにしろよ、店のテントもそろそろ換えどきだぞ、と父性愛とでも名付けるしかないような気持ちにさらされた。
 だが、次の瞬間には袋に入る直前に盗み見た彼女の後れ毛が思い出されて、知らず笑みがこぼれてくる。

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