20110712

わたしは政治経済音痴である。
胸を張って言うことではないが、本当のことだから仕方がない。
選挙は行っているし(毎回笑えるほどに捨て票だが)、ニュースに対してわからないながら憤ることもある。
マスコミと世論(もしくはネット世論)との乖離も痛感するし、政治家や官僚や警察や検察や大企業の権威が雪崩をうって失墜していることも気がついている。
とはいえ、やはりどこか心の片隅で、倫理観の欠如した一部のエリート以外は、わたしにはわからないものが見えていて、日本をいい方向に導いてくれていると、希望的観測を抱いていた節がある。
それは原発の危機管理能力に目をつぶっていたのと同じく(あの場合も「専門家」がうまくやってくれていると思っていたが、事故以来続く大小さまざまなミスは素人目にもお粗末だ)、無責任な態度ともいえるかもしれない。
しかし、そんなぼんやりとした希望を見事に打ち砕く本を立て続けに読んでしまった。
一冊目は田中秀臣さんと上念司さん共著の『震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!』(宝島社)である。
田中さんはバリバリの経済学者でありながら、日欧米のマンガやAKB48など広く目配りされた研究で名高く、さらに言えば、拙著『明治大正昭和 不良少女伝』の元となる原稿を書く機会を設けてくださった恩人でもあるという、とても懐の深い方である。
そんな田中さんが書かれた本でもなければ、わたしが経済書を手に取るきっかけはなかなかないと言ってもいい。
しかし、この本はわたしのような音痴にもようくわかるように、というよりむしろわたしのような音痴のために書かれたとすら言えるかもしれない一冊である。
理由その1。語彙の説明が非常に簡潔且つ丁寧。ニュースを見ていてよく耳にするけど説明できない「量的緩和」「CPI」「名目GDP」などの言葉を本文でさらっと説明してくれるので意味が入ってきて論についていきやすい(これが注として欄外にあると指を挟んだりして、またちょっとめんどくさいのだ)。
理由その2。主旨をいろんな言い方で何度も強調してくれるのでわかりやすい。
理由その3。お二人の阿吽の呼吸がすごい。

主旨は明快である。
バブル崩壊から20年、日本がデフレまっただ中のまま無策で過ごし、企業倒産や失業率や自殺率だけが伸び続けているのは、政府と日銀と官僚が「前例踏襲主義」でひたすら「金融引き締め」(円を市中から回収し円高にすることで人為的に起こす金不足)を行っているからである。
驚くべきことに日銀は、この未曾有の震災の前も後も「日本経済は穏やかな回復基調を続けていき、デフレは縮小する」と謳っている。
東北があれほど壊滅的被害を受けて、福島第一原発の収束の目処も立たず、いまだその被害額の換算すらできない現状を「穏やかな回復基調」とは。
今わかっている必要最低限の復興資金は約20兆円、本来なら初期の段階でその大部分を投入しないと意味がない(阪神・淡路大震災では復興資金10兆円のうちほぼ7割を最初の2年で投入した)にも関わらず、その調達方法はやれ消費税増税だの子供手当廃止だの高速道路無料化見直しだの、逆をいくものばかり(増税や資金の付け替えはむしろ景気を悪化させ、ひいては東北を見捨てることになる)。
では、どうすればいいかといえば、本書の二人はこう言う。
「政府が国債を発行し、日銀に紙幣を刷らせてそのお金で国債を日銀に買い取らせればいい」。
日銀は輪転機を回せば(理論上)お金を刷ることはいくらでもできるし、国債を買えば政府は行政を滞りなく遂行できる、つまり日銀による国債の直接引き受けをすればいいというのだ。
現に、1932〜35年に高橋是清がこれと同じ政策で未曾有の昭和恐慌を脱出したという。
え、それだけ? と拍子抜けになる。
何か落とし穴があるんじゃないの?(その落とし穴、たとえばハイパーインフレや悪性インフレ、不況日銀説への抵抗についても本書では説明してある)
でも、それがもし言葉通りに簡単なのであれば、何のために20年間不況だったの?
何のために年間自殺者が10年間1万人増加したままで、何百年も続く老舗のお店が倒産して、若者の就職率が過去最低を更新しているの?
その理由は、日銀と取り巻きの官僚が方向転換することで過去の過ちを認めたくないこと、「金融システムの安定化」と称して天下りの先輩方が所属する一部の銀行を守って自分たちの給料さえ下がらなければどんな嵐も他人事という体質のせいだというのだ。
気持ち悪いのは日銀を一切批判しないマスコミで、彼らもそうすることで何か得をするとか大きな陰謀があるわけではなく、深く考えていないだけだという。
えーーまさか。
正直、本書だけ読んでいたら俄かには信じられなかったかもしれない(疑り深くてすみません)。
しかし、つい先日、これと同じような話を政治の本でも読んだのだ。

それが二冊目のカレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?画策者なき陰謀』(角川書店)である。
著者はオランダ人で「30年以上にわたって日本の権力構造をめぐる取材・分析をおこな」っている政治ジャーナリスト(「」内は本書プロフィール)。
ネットで見ると、ベストセラーになった『日本/権力構造の謎』『アメリカとともに沈みゆく自由世界』などの方が読み応えがあり『誰が小沢一郎〜』は薄っぺらいという意見もあるようで、確かに急ごしらえ感は否めないが、わたしのような初心者には読み易くて向いている気がする。
この本はタイトルに小沢一郎と謳ってはいるが、小沢一郎個人の話ではない(いや、少しは出てくるけど)。
小沢一郎叩き(「人物破壊」キャンペーン)のなかに見る日本の政治特有の風潮を端緒に、明治に遡る官僚的権威主義の誕生や、政治的現実を左右する(実際に起こっていることについて報道するかどうかで世論や政治をコントロールする)日本のメディアのあり方や、戦後日米関係の歪さとそこに民主党や小沢一郎が果たそうとした役割などがおもな内容で、日本のマスコミの無目的な叩きや、顔のない「官僚」という集団の前例踏襲主義を、カレルは「画策者なき陰謀」と命名しているのだ。
彼は「世界中の大学の授業に、日本のスキャンダルという特別な科目を加え」るとより授業が充実するのでは、と思うくらい「特異」だと書いている。
日本のマスコミは官僚の実情に暗いために、その発表を鵜呑みにして深く考えないままキャンペーンをしている(執拗に繰り返される支持率の発表もいい見本だ。支持率が数%、または数十%変動したからといって、その数字の根拠と意味するものを正確に説明できる人はいるのだろうか)という『震災恐慌!』と同じことが書いてある。
官僚にとって目障りな政治家(小沢一郎や鈴木宗男のような)や経営者(江副氏、堀江氏など)を深い考えもなく叩いて引きずり降ろすマスコミと、それを恐れて骨抜きになる首相をはじめとする内閣。
これでは一国の運命を暴走列車に任せているようなものである。

政権が民主党になったとき、天下り禁止や政治主導など前例踏襲主義にメスが入るのかと期待したがぬか喜びだった。
しかし、時代の流れや外圧に抗えるのも時間の問題だろう(と思いたい)。
明るい兆しとしては、大阪地検証拠改竄事件や、「陸山会」収支報告書事件の度重なる不起訴など、検察の一人勝ちに待ったをかける流れがある。
原発事故によって、東電や地方自治体への金の流れなども白日の下に晒されつつある。
いずれにしても、「プロにお任せ」するという態度が、直接人命や国の命運に関わる時代がますます迫ってきていると感じた。
民主主義国家の一員としてしっかり監視する必要があるとあらためて考えさせられた2冊だった。

 

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