20150711




6.【おまけ】『礼賛』落ち穂拾い

『礼賛』解剖シリーズのなかで拾えなかった気になる文章をピックアップしてみた。ここまで読んでくれた人なら、存分に突っ込める文ばかりである。奇書『礼賛』の雰囲気をぜひ味わっていただきたい。


私の頭にいつもよぎっているのは、西のおじいちゃんと西のおばあちゃんであり、本家の祖父母のことを恋しいと思ったことは一度もない。私が生まれたときに、グランドピアノより高価な八段飾りの雛人形を買ってくれたのは西の祖父母で、雛あられを持ってきたのが本家の祖父母である。(「女王蟻」p27)


赤旗おじさんが、日本共産党の人で、民青が日本民主青年同盟の略称で、民青の組織化には日本共産党が協力していて、どうやら父は大学時代に民青で活動していたらしいと知ったのは、私がもっと大きくなってからである。(「西の祖父母」p39)


「ここは、毎日清潔にするんだよ」と言って、西の祖母は、自身の陰部に泡立てた石鹸をつけて洗った。細い縮れ毛がうっすらと覆った祖母の陰部は、ピンク色の粘膜がなまめかしい光を帯びて、色素の薄い真っ白な祖母の肌と釣り合って、美しかった。(「初潮」p49)


ぽっちゃり体型への皮肉を、西の祖父母の養育を持ち出して話されると、屈辱を与えられたような気分だった。自分の価値を否定するような指摘を、柔らかく自然にほのめかされることで、私は母に対して安心感を得られず、自分を理解して温かく受け入れてくれる存在ではないのかと思う事すらある。(「変質する母」p56)


私は、漱石の小説を読んで「高等遊民」という言葉を知ってしまったのである。同級生が「私はケーキ屋さんになりたい」「僕は科学戦隊ダイナマン」なんて言っているときに、私は自由を謳歌する高等遊民しか意識にのぼらなかった。(「高等遊民」p65)


私は、西の祖母のように、旦那さんに尽くし、家庭を守る女性に憧れていたので、自分が大人になって外で仕事をするということを、ちらりとも考えたことがなかった。教育熱心な両親も、職業については何も言わなかった。働いている素敵な女性もいたけれど、私には向かない気がした。(「高等遊民」p66)


歩美ちゃんはさっぱりした気質で、とても付き合いやすく、放課後もいっしょに遊んだ。歩美ちゃんの部屋で裸を見せ合いながら、お医者さんごっこをした。そしてその流れで自然にキスする。(「交換日記」p85)


東京から来た雅也君という中二の男の子が、真由ちゃんより私のことを気に入っているらしいということだけは間違いなさそうだ。アメリカに住み、お父さんは大きな法律事務所の弁護士で、お母さんは女優みたいに美人で優しくて、そんな両親の一人娘として育てられている可愛いお嬢様。英語が話せて、バレエが踊れて、ピアノも弾ける。勉強もできて信仰が篤く、熱心に教会へ通い貧しい人々の役に立ちたいと考える心優しい少女。麻雀でいうところの満貫みたいな真由ちゃんに、私は勝ったのだ。(「ヤマザトと雅也君」p101)


「俺は大人になったら、絶対にフェラーリに乗るんだ」と、力強い口調で断言した。雅也君がその夢を叶えて、真っ赤なフェラーリF40に乗って私を迎えに来たのは、私が十九歳の春だった。(「ヤマザトと雅也君」p114)


レディースコミックは幾つか毎月読んでいた。しかし、私が買っていたのは少女漫画を卒業した女性向けの漫画誌といったものだった。雅也君によると、表紙がイラストのものはソフトで、写真のものは過激な性描写があり、ポルノ色が強くレディコミと呼ばれているらしい。(「思春期」p126)


布団叩き棒を振り上げるときの母は、鬼の形相だった。下唇を噛み、小刻みに顔を震わせ、目尻は吊り上がり険しい表情から怒気が滲んでいた。三角になった母の目は悪魔に取り憑かれているとしか思えなかった。声も上げず、涙も流さない私が憎らしい、と母は言い、棒を持つ手に力を込めた。やがて惚けたような顔をしてせせら笑ったかと思うと、突然冷ややかな顔に戻り、睨み付けた(「虐待」p133)


祖母たちは、母が「最近とみに常軌を逸した言動が目立つ」「顔付きも変わってきた。更年期障害ではないか」「いや、あの人は人格障害だ」「精神障害だ」といった物騒なことも言い出した。まるで、自分たちとは血のつながりがない人のことを話すような口振りだった。(「虐待」p138)


十七歳の私は、祖母も十七歳でセックスをしていたことに強く親近感を覚えていた。母は二十七歳で結婚し、二十八歳で私を産んだ。多分結婚するまで処女だったのだろうと思う。以前、妹が「お母さんは、お父さん以外の人と付き合ったことないの?」と、尋ねたことがあった。そのときの答えが、高校時代告白された、お見合いの話はたくさんあったという話ばかりで、具体的に男性と交際していたというエピソードはひとつも出ず、妹に、「つまんないの」と、ぼやかれていたのである。(「節気菓子」p215)


彼がお土産に持って来た紅花をかたどった和菓子と求肥にくるまれた葡萄を食べ、膣の襞に染み入るような彼の歌声に酔い、ペニスをくわえ、心と体を潤した。受験勉強の合間のセックスは、私にとってユンケルで、彼の存在が生きるモチベーションになっていた。(「節気菓子」p217)


スナック菓子は滅多に口にしない私が、レンタカーの助手席やカラオケボックスで、カールを食べるのを見て、徹さんは播磨屋の「朝日あげ」という丸い揚げ煎餅をお土産に持って来てくれた。御園菊と月兎の生菓子と、朝日あげを交互に食し、いつまででも食べていられるわ、どうしよう、と本気で困った。(「節気菓子」p220)


卒業後は離れ離れになる仲の良い同級生が、ちょっとしたパーティーを開いてくれた。主役の私は、ホテルの別室で待っている彼のことばかり考え、気もそぞろだったのだろう。彼女たちとの話題のほとんどが進路のことだったことしか覚えていない。私の地元での思いでは全てそうなのだ。大切な男性以外とのでき事は、すぐに色褪せて忘れてしまう。(「節気菓子」p225)


就職する気は微塵もなかった。自分が仕事をするなんて考えたこともない。お金は男性が稼いでくれるものだと思っていた。それは未来の旦那さんかもしれないし、いざとなれば父がいる。雅也君とお兄ちゃんも助けてくれるだろう。男性は経済的に頼りになる存在だと漠然と考えて生きてきた。(「節気菓子」p217)


取調室と呼ばれる部屋に連れて行かれると、二人の男性が待っていた。年は父と同年配だろうか。二人は揃って大型量販店で売っていそうな吊しのスーツを着ている。刑事は、安物のスーツしか着てはいけない決まりでもあるのだろうか。Vゾーンがやけに広く、だらしがない。自分の体のどこの寸法にも合っていないように見えるスーツだった。(「事件」p246)


花代ちゃんはいつものバスタオルを手に持ち、妹の菜美ちゃんは、ナインチェ・プラウスのぬいぐるみを抱いていた母はうさこちゃん、美穂はミッフィーと呼ぶその兎のように菜美ちゃんの口は閉じられている。とてもシャイでおとなしい少女だった。(「故郷の人々」p293)


フライドチキン作りに挑戦したら、鶏肉に秘伝の粉をまぶすのに手間取り、やけに味の濃いフライドチキンが出来てしまい売り物にならず、巨大な圧力釜一つ分のチキンを廃棄することになった。タイマーをセットし忘れて、ポテトを揚げすぎたり、ビスケットを焼き過ぎたりして損失を出すたび、店長はぷるぷる震え怒鳴っていた。(「新入社員」p302)


私は大阪に行くと、イカ焼きを五枚食べるまで帰らないことにしていた。(「私の体は文楽の人形」p307)


私は優子さんと高島屋、美樹子さんと三越の開く展示即売会や受注会に行き、老舗呉服店系の百貨店の顧客達が醸し出す雰囲気を肌で感じていた。鉄道系とは格が違った。物を買う時は、必ず正規直営店で新品を一括払いで買う人達だ。間違ってもドン・キホーテやコメ兵でシャネルのバッグを買ったりしない(「VIPなおじさまたち」p325)


日本赤十字社から、そのとき献血した血液の検査結果が郵送されてきたのは、ロッテがトッポを発売した四月のことだった。(「世にも美しいダイエット」p338)


私は本を閉じ、彼を見た。四十歳前後だろう。センスの良いスーツを着ている。スーツを一着買ったら二本ズボンがついてくるようなメーカーのものではなさそうだ。松屋銀座の「銀座の男」市の催事でパターンオーダースーツを作ることを習慣にしているタイプに見えた。(「愛人倶楽部」p343)


この日私は、膝丈のスカートに森英恵のジャケットを着て、フェラガモのパンプスを履いていた。歌舞伎に誘われ、朝から美容室で髪をセットしてもらい、普段よりお洒落な格好をしていたのだ。腕時計は雅也君から貰ったショパールで、ダイヤモンドがキラキラ光っている。十九歳には見えなかったのだろう。(「愛人倶楽部」p344)


私が売春や援助交際という言葉にピンとこないのは、愛より先に性を知ったわけではなく、お金が介在する関係でも、必ずそこに愛があったからだと思う。私がしていたことは、拝金主義でも、承認欲求でも自傷行為でもない。親への欲望を代理充足したわけでもない。自分がしたいと思ったことが、タイミング良く与えられ、私はそれを普通より上手にすることができたので、多くの報酬を得て、楽しく続けてきた。自分を大切にし、男性に優しく接し、幸せな時間を共有した。売春や援助交際という単語につきまとう悲愴感は、私には無縁のものだった。(「愛人倶楽部」p346)


「私、このお店たまに行くんです。今もお財布の中にメルシー券が入ってます。買い物してから、九階のティーラウンジで黒パンのパストラミサンドを食べて、北欧の紅茶を飲んで、休憩してから帰るんです。ダイエットする前は、和光とアンジェリーナのモンブランも楽しみでしたけど」(「愛人倶楽部」p350)


その日の夕方、ゴトウフローリストから大きな花束が届いた。ホテルマンノような制服を着た花屋の男性が配達に来た。「Wao!!と、声を上げ感激した。(「愛人倶楽部」p351)


「花菜ちゃんとなら、動かなくても勃起していられるよ。花菜ちゃんは絶世の美女に生まれつく以上にラッキーな能力を持って生まれてきたんだ。これは凄い」(「愛人倶楽部」p352)


私は年上の人が好きだったから、若い男性の性欲と好奇心に振り回されず生きることができた。私が男性にしていたことは、生産性のないことだったけれど、社会になくてはならない生産性のある必要不可欠な仕事をする男性たちのオアシスになろうと思っていた。(「愛人倶楽部」p353)


「こんな数字見たことがない。二十代女性の平均値は二十二m/mHgなんだよ。今度はこれを挿入した状態で歩いてもらえるかな」と言い、紡錘状のコーンを私の膣に入れ、一分タイマーをかけた。重さを四度変え、五段階あるコーンを試した。「五でも落ちないな」(「女目線の名器研究」p359)


「私、これ出来るかしら。ちょっとやってみます」私は凹型の椅子に足から潜った。「沙也さん、お腹がつかえて……潜り抜けられません」「あらぁぷぷっ」失笑された。(「女目線の名器研究」p364)


風俗を語る時、人は皆、偽善者になる。風俗店で働いたことのある人や利用したことがある人でさえ、性的産業に対してとてつもない侮蔑感と差別感を持つということを、私は裁判所を通して知った。裁判員裁判の被告人質問で、検察から売春や風俗という言葉を連呼され、それが穢らわしいもののように取り上げられたものだから、性風俗産業に関わる方から同情の手紙を貰った。多くは経営者だった。(「女目線の名器研究」p367)


私の事件に多くの女性が反応したのを知って、男性に対して欲求不満や苛立ちを感じている不幸な女性が多いのだなと思った。自分に自信があり、自分の希望を叶えてくれる男性がいる女性は、多分私の事件に反応しないのではないだろうか。自分の人生に不満を抱いている女性たちが、私の容姿や人格的な誹謗中傷をすることで、自らの不安や憤りを回収させている気がした。女性たちの狭量さには、正直言って驚いた。(「女目線の名器研究」p368)


どんな意気がっている男性でも、心の底には抑圧された弱さと甘えがある。そこをさりげなく刺激し、優しく汲み取ってあげるのが女性の役目だと思い、私は男性に接してきた。(「女目線の名器研究」p368)


私が性風俗店に勤めなかったのは、不特定多数の男性の相手をしている女性を、男性が心から大切にしてくれることはないだろうと考えたからである。これは正しかったと思っている。安売りしていたら、男性から大切に扱われることはなかっただろう。女性と群れなかったのも良かった。(「女目線の名器研究」p368)


「私の父が泉屋のクッキーが好きで、あそこのクッキーは全種類食べたことあるんです」「泉屋のも歯ごたえがいいね。これは、今晩行くレストランで売っているクッキーなんだよ」伊東さんはインターホンで、「村上開新堂のクッキー缶を持ってきてほしい」と、森さんに指示をした。(「伊東さんとの誕生日」p379)


二十歳になってから、古代ローマ詩人オウィディウスの『恋の技法』という本を読んだ。(略)「安全に得られる快楽というものは、得られたところでそれだけ楽しみは少ない」金言だと思った。「十分使用に供しても、あの部分だけは損耗のうれいがない」そうだなと思い、私は二十歳になってから、積極的に男性と身体を重ねた。(「デートクラブ」p388)


ステディーな健ちゃんとハイソサエティの紳士しか知らないのでは男性の評価に偏りが出てしまうと危惧したこともある。そこで私が登録したのは、池袋のデートクラブだった。渋谷は近過ぎる。新宿は恐い。池袋の雑多な雰囲気や距離感が良かった。(「デートクラブ」p388)


デートクラブで紹介される男性にお金の期待はできなかいのはわかっていたから、水谷さんの反応は想定内のことだった。水谷さんは、滝沢の謝恩券と書かれた二百円の割引券を伊東屋のメルシー券の如く大切に財布の中にしまっていた。(「デートクラブ」p391)


デートクラブで紹介される男性のセックスは一様に下手だった。センスが悪かった。セックスが貧乏臭いのだ。(「デートクラブ」p391)


しかし、お金は出すが、内面は異なる種類の人もいる。それは、低い自己愛をお金を稼ぐことで補填するタイプの人だ。この手の人は、自分に対して自信が持てず、お金を払うことで自分も貢献し、相手の充実した世界にコミットしたような感覚を味わい、その刺激を喜びとする。こういう人は自身に魅力が低いので、付き合っていて面白みのない人が多い。(略)三十台になってから、特に、インターネットを通じて出会った人は後者ばかりだったように思う。(「デートクラブ」p394)


「なんでコンパするのに偏差値が関係あるわけ?」「美穂、長野大学の偏差値知ってるの? 四十よ。偏差値四十ってなかなか聞かない数字よ。私の数学の偏差値だって、もう少しあったわよ。第一、学部の名前も環境ツーリズムだの企業情報だのよくわからないじゃない。信州大学は教育学部でも六十近いのよ」(「年下のたっくん」p400)


シーズー犬のサークルを立ち上げ、ボランティアのアニマルセラピーと子犬の斡旋の二部門を作り、活動を始めた。広告代理店の知り合いに宣伝を依頼し、二十人を超えるスタッフを採用した。(「年下のたっくん」p405)


結婚は、一人の男性の専属娼婦になることだ。その一人の男性を決めるためにいろんな男性と試しに付き合ってじっくり選ぶのは当然だし、その過程で、別れ話を切り出さなくてはいけないこともある。(「年下のたっくん」p407)


初めてしたオンラインゲームは東風荘で、初めて登録したメルマガは楽天市場で、初めて参加したメーリングリストは合羽橋道具街の食と料理がテーマのものだった。(「年下のたっくん」p408)


両親の仲は完全に崩壊していた。長男が高校を卒業するまでは、と父は頑張っていたが、母は家出を繰り返していると聞いた。そのことで、私は母から相談や報告を受けたことはなかった。母は知人の家に身を寄せたり、長野の美穂のアパートで同居しているということをたびたび家族から耳にした。母が私は頼ることは一度としてなかった。(「年下のたっくん」p411)


iモードがブームになり、インターネットの巨大掲示板2ちゃんねるが開設された。そこに集う人の心理がわからなかった。2ちゃんねるの玉石混交、虚実入り交じった情報の嘘を見抜ける人はそう多くないだろう。そういう人でない限り、あの手の掲示板を使うのは難しいと思った。私にとって2ちゃんねるは、バイブレーターと同様、興味が持てず近寄りたくないものだった。(「年下のたっくん」p412)


関谷さんには、九八年に出会った頃から私の名字は吉川と名乗っていた。名は「桜」。知り合ったきっかけが、教育関係が集うインターネットサイトのオフ会だったこともある。当時、私は、パソコンを持っておらず、友人のピアノ講師に誘われて参加した飲み会だった。雅也君が「インターネットはパソコン通信とは違う。信用できる相手かわかるまで本名は教えない方がいい」と言い、吉川桜というハンドルネームをつけてくれた。(「関谷親子」p434)


信用させる為の工作に、私は架空の母「吉川淳子」という女性を登場させた。このことを書き出すと、また一年かかってしまいそうなので省略する。(「関谷親子」p435)


「俺はモテるんだぜ」「俺は、仕事が忙しくて、趣味が多くて大変なんだ。俺にセックスしてほしいなら、それなりのものを用意してくれないと会えないよ」お金だ。暗に匂わせるというより、直接的にお金を要求する発言をした。私にお金を要求する男性がいるなんて。しかもセックスの対価として。これにはたまげた。彼は売り専や枕ホストの真似事をしようとしているようだった。こう言っては悪いが、彼は、女性からお金が取れるセックスをできる人ではない。そのことを自覚していないのだ。(「関谷親子」p436)


振り込め詐欺が流行する前から、他人名義の銀行口座と架空口座とプリペイド携帯は、あらゆる詐欺のマストアイテムだった。私も全て持っていた。(「関谷親子」p438)


私は関谷さん以外の彼氏の家族とも同様に付き合ってきた。本人がおらずとも、彼の家族から食事や買い物に誘われることもあった。雅也君の家族に始まり、健ちゃん、たっくんもしかり。美術館や観劇に行く事もあったし、旅行もした。そういうふれあいがあったからこそ、東京での生活は潤いと温かさに満ちていたのだと思う。彼を抜きに、彼の家族と会うのがおかしいという感覚は、上辺だけの希薄な人間関係が普通になっている人のものだろう。(「関谷親子」p443)



関谷真彦と吉川淳子とのメールは、裁判には出なかったが、どこの都県の捜査でも話題にされた。「誰に書いてもらったんだ? 経営コンサルタントの岩路か? コーチングの菊地か? 出版社の三宅か?」どこの刑事も検事も、私が自分で書いたとは思っていなかった。読み返しても大した事は書いていないのだが、公務員の感覚では、若い女が考えることとは思えないらしかった。(「鬱」p455)


いくつ矛盾を見つけられるか、ある意味「木嶋佳苗検定」の様相すら呈している。