20160325



大正14年9月30日付東京朝日新聞(仮名になっている)


今日は拙著『明治 大正 昭和 不良少女伝---莫連女と少女ギャング団
でとりあげた「イタリー人狙撃事件」の続報(?)をお送りします。

「イタリー人狙撃事件」と聞いてピンときたひとは素晴らしい。
ご存知でない方は反省してここをポチるように

ざっと概要を書くと、大正14年9月28日午後10時、16歳の少女あい(愛)子がダイアモンドの指輪をめぐってイタリア人実業家リッチ氏を五連発ピストルで撃ったのがことの発端。
最初の報道では「指輪は愛子の母の持ち物で、リッチに預けていたがなかなか返さないので撃った」ということでしたが、肝心の被害者リッチが警察に通報後になぜか雲隠れしていたりいろいろときなくさい一件でした。
その後の報道で、深谷母子は大阪堂ビルホテルの一室で西洋マナーやダンスを教えるという触れ込みで現れ、オリエンタルホテルやダンス場、バーを渡り歩いては外国人男性と戯れていたことがわかりました。愛子はその若さで誰ぞやの妾になった経験もあるといわれ、母子は外国人相手の売春も疑われました。一方の被害者リッチも、実業家と名乗っていたものの実情は酒の密輸業者で(後に本人入院中に家宅捜索を受けて酒を押収されている)売春斡旋をしていたという説も出ました。
当時の新聞報道の言葉を借りれば、まさに「堕落の淵に臨」んだ、ただれた事件であります。
拙著でお伝えしたのは起訴されたところまでで、後日談として事件11年後の昭和10年のあい子が「銀座のネオンの光でまぎらわせている」(鈴木賀一郎『防犯科学全集 第7巻 少年少女犯篇 女性犯篇』)という、わかるようなわからないような記述まででしたが、続報を見つけましたのでここに載せたいと思います。


■愛子まだ収監されぬ きょう検事調べ 大正14年10月2日付読売新聞
麹町署での取り調べが終わり1日に東京地方検事局に送られる予定だったが、2日になるという。

■拳銃の深谷愛子は強盗殺人の未遂 問題の指輪はリッチの物で強請したのが起訴の理由 大正14年10月8日付読売新聞
市谷刑務所に拘留され取り調べられていた愛子は7日午後に罪状明白となり、強盗未遂殺人未遂罪として起訴され、収監された。指輪はリッチのもので、愛子が強要したが応じなかったために発砲したとのこと。

■一平氏の『どぜう地獄』を讀んでいる愛子 未決監で洋食のゼイタクさ 毎日面會にくる母親 大正14年10月9日付読売新聞
市谷刑務所の未決監に収容された愛子は、最初の三日間はコレラのため差し入れを禁じられていたが、許されてからは朝は牛乳とパンと半熟卵、昼と夜は牛肉や鶏肉をメインにした洋食を食べているという。母は食事や毛布や岡本一平『鰌地獄』などを毎日届けているが、父の深谷予備海軍大佐は一度来たきり。売名目的の弁護士がしきりに面会に来ているようだ。

■例の深谷愛子 保釈で出獄 昨夕市谷刑務所門前で母親と相抱いて泣く 大正14年11月8日付読売新聞
40日の拘留生活を終え保釈された愛子は、紫地に白の花模様の錦紗の羽織姿で現れ、出迎えた父母と互いに抱き合って泣いた。母は「事件につきましては一言も話してはいけないことになってゐますから」とだけ言い、三人は自動車で消えた。

■罪の愛子に……甦った父の愛 きのうも裁判所につき添って 親子三人元の鞘に 大正14年11月10日付読売新聞
父に付き添われて検事局にやってきた愛子はおかっぱ頭に肩揚げのある着物を着てまるで少女であった。別居していた父とも親子水入らずとなり、近く家を見つけて三人で住む予定であるが、そもそも愛子の父母は父が駐英大使館武官在任中に結婚したが、派手好きの母と性格が合わず別居していたという。

■愛子が身を滅ぼした恨みの指輪 きのうリッチの手え(ママ) 近く殺人強盗未遂の公判 大正14年11月15日付読売新聞
事件の発端となった3000円(約600万円)のダイアの指輪は14日まで裁判所で保管していたが、リッチの物とわかったため返された。愛子はこの指輪を自分にもらえるものと思いリッチの言いなりになっていたという。

■洋装の愛子 裁判所え(ママ)リッチ事件取調 大正14年12月11日付読売新聞
10日、東京地方裁判所に出廷した愛子は「コバルト色の洋装に樺太産の狐首巻黒のオーバ着込んで踵の高い靴を鳴らして歩」いていた。公判準備の質問を一時間で終え、足早に去った。

■あの人たち(十一)和服に着替え洋酒飲んで居る 深谷愛子 大正15年1月20日付読売新聞
愛子は中野に母と住んでいるといわれているが住所をひた隠ししている。裁判所からの手紙はすべて父の旧友である牛込在住の某博士に届き、弁護士との面会も博士宅で行われている。事件以来、洋装で外国人と話しているだけで愛子党と間違われるほど有名になったので、本人は最近は和服が多いが、それでも顔が知られているので覗きに来る人がいて、二度引っ越したという。母は鬱状態になっているが、愛子は元気で、鎌倉や箱根に遊びに行ったりもしたが、後ろ指を指されるのでこの頃は洋酒を買い込んで家で飲んでいるが、「わたし悪かったのかしら」というような事は最近になって言っている。

■深谷愛子の公判は傍聴を禁止せず 傍聴券百五十枚を発行し、あす開廷 興味深い……名裁判長の裁き 大正15年1月21日付読売新聞
公判は明日大正15年1月22日午前10時から、東京地方裁判所刑事二号法廷で開始予定。裁判長は宮城判事、坂元検事、弁護士は宮島、名川、佐藤、藤田、小野、岩井、田代の七氏である。

長くなったので、今日はここまで。
この裁判の傍聴記は大正15年3月号の『文藝春秋』誌に南部修太郎も寄せています。
次回はその辺りもご紹介します。