今日は週刊誌の取材を受けた。
取材はいつも緊張する。
というのも、忘却がひどいからだ。
本についても、書き終わったらすぐ忘れてしまう。
取材の前には自分の本を読んで、一生懸命、詰め込み勉強をする。
細かいエピソードやつっこんだことを聞かれると、つい目が泳いでしまう。
ほとんど被疑者である。
今日の取材は、執筆のきっかけやテーマに関する話など、ふわっとした質問で助かった。
そういうことはいくらでも喋れる。
ただ、いくつか困った局面はあった。
男性向け週刊誌だったからか、既婚だというと「旦那さまは執筆についてどうおっしゃっていますか」と、普段注意して考えたこともないような質問が来る。
「まあ『頑張れば』という感じでしょうか」というと「原稿を読まれたりしませんか」と聞かれたので「ええ、読んでもらうこともあります」というと「直したりしますか」と聞かれ「まあ、直すこともありますが…」とつられて答えたところ「じゃあ、編集者に見せる前に必ず読んで直してもらうんですか」とくるではないか。
「必ずではないです。直してきても採用しないこともありますので」と慌てて伝えたけど、自分が明治の妻になったような錯覚に陥ってしまった。
わたし「あなた、原稿できました。でも読んで直していただかないと、わたくしどうにも自信なくって」
夫「どれどれ、うーん、ここがおかしいぞ。ここはやはりこうではないか」
わたし「あら、ほんとう。じゃあ早速直します。やっぱりあなたがいらしてくれなくっちゃあ」云々
もちろんそんなわけはない。
そもそも「直す」という表現がおかしい、わたしの原稿である。
見たがる、校正したがるのはデザイナーの性だが、いつも読ませるわけでもないし、校正したとしても無視する場合も多い。
ましてや「直す」なんてことはない。
しかし、流れのなかで相手の言葉を言い換えるのはなかなか難しい。
困る質問といえば「これだけの資料を集めるのに苦労したでしょう」というものもある。
実はよくわからない。
国会図書館で新聞記事を探したのは初めてだったので、比較対象がないのだ。
もちろん、過去のことなので忘れたというのもある(!)。
それから「毎日どうやって過ごされていますか」というのも答えられなかった。
よくわからない。
家事をしたり、資料を読んだり、打合せしたり、入稿したり、2525練習したり、ネット見たり、サイトつくったり、デジオ編集したり、イベント会場の下見に行ったり、ライブしたり、ヘナしたり、飲みに行ったりしている。
同じようなことをしている日がない。
かように「わからない」尽くしなのだが「わからない」といわれても相手もわからないだろうし、困ったものである。
じゃあ、わたしは何が「わかる」か。
婚活詐欺女が現代女性に投げかける問題については、わかる。というか、喋ることができる。
ヘナの調合についても話せる。
twitterや勝間和代に関するもやもやした気持ちや、昭和初期のジャズの話、足立区の若者と荒川区の若者の違いも話せる。狭っ。
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