以前、トークイベントで話したりブログにも少し書いた本荘幽蘭について、時間を見つけてときどき調べています。
今日はデータ化された新聞記事と、2、3の書籍を閲覧しました。
集めてみるとほとんどが噂レベルの話で(記者時代に幽蘭が軍人の妻や両親にインタビューした真面目な記事は除く)実際に行なったことかどうかすらあやふやな情報ばかりでした。
幽蘭という人は、やれロシアで茶店を開くだの有楽座で旗揚げして帝劇と闘うだのと気焔を上げては、資金の手当がつかずに企画倒れというパターンを繰り返しているらしく、そのうち名前を聞かなくなったと思ったら長崎や大連でひょっこり姿を見かけるというのがお決まりのようです。
神出鬼没すぎて足跡を辿るのがかなり難しい。
生きてるときですらUMAのような(!)人なんですね。
でも、それぞれのエピソードになんともいえない味があって、憎めない。
もし本にするとしたら、いわゆる伝記的なまとめ方より、おもしろエピソードや噂話を並べて「しょうがないなあ」と笑っていただく方が楽しいかもしれません。
例えば、今日見つけた記事のひとつは、明治40年3月17日朝日新聞の東京勧業博覧会に関する「博覧會片々」。
3月20日の開催まであと3日、着々と整う準備について描写された記事で、「會場内の整理」「周遊館の絵画取附」「画家とモデル」「公園付近の装飾」「本郷區小學校の出品」「神楽坂と富士見坂」という小見出しが続くなか、最後に「不気味な茶店」。
はい、幽蘭先生の茶店です(もう、先生と呼ばせていただきます)。
記事によると「女記者となり女俳優となりて暫く姿を隠せし幽蘭女史本荘久代は博覧会當込みに花園町辺へ幽蘭軒といふ喫茶店を開き店前(みせさき)の建札に「黒き紅きくさぐさの筆をとり/\”の右手止みがたきを好奇心(すきごころ)の、うつゝともなう茶盆に替へサゝ茶(ぶゝ)召せとさゝぐるは蘭(あらゝぎ)の茶屋の幽蘭女史」など筆太に記すとは凄じき事なり」とのことで、どうもこの立て札が不気味ということらしい。
博覧会を当込んで開店する辺りは機をみるに敏なんですが、こういういらんことしぃなところが幽蘭先生にはある。
先生に特徴的なのは常に主張があるということで、どんな状況で誰を相手にしていても滔々と何かについて語る癖があるのです。
幽蘭軒の立て札にしても、耳目が集まるとあらば多少商売に差し障りがあっても、先生自らが筆を執ることを厭わない。
むしろ厭った方がいい気がするけど、そこは譲らない。
そんな幽蘭……もとい、幽蘭先生の脱力エピソード、機会があればまたご紹介します。
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